ボードパソコン以前
実際に動作させるのは、ボードパソコン登場以降です。しかし、それ以前にもコンピュータとのつきあい?はありました。 それについて触れます。
高校3年・フォートラン4
一番はじめは、高校3年の選択学習での「コンピュータ論」です。とは言っても簡単なコンピュータの仕組みとフォートラン4 による初歩のプログラムの勉強でした。
一貫教育の学校でしたので、大学の情報処理センターにはコンピュータ(メインフレーム)はありましたが、実際は紙上での コーディングで動作させる事はありませんでした。パンチング・カードを使用する時代です。
次の出会いは、大学1年の時にNHKのテレビ講座でBASIC言語のコーディングがあったので全部観た事です。BASIC言語の基本は この時に覚えました。NHKのテレビ講座は今もコンピュータ関連が続いています。継続性は大切と思います。
大学3年では専門単位に「コンピュータ論」がありました。時代性と理学部3年の講義という事でレベルは想像して下さい。 使用言語はやはりフォートラン4です。
「情報」という言葉が広く使われ出したのがこの頃です。プログラムとは切り離した、システム工学や情報科学の講義も いくつかありました。論理とかX進法とか、ブラックボックスへのインプット・アウトプットとかの言葉を覚えています。 (2008/08/26)
ボードパソコン登場
24才の時にボードパソコンが次々と登場しました。同時にそれを扱うパソコン雑誌が登場しました。方向性の違いで すぐに2紙に別れたようです。
ボードパソコンの発売思想
本家のアメリカでは既に多くの種類が出ていたようです。それにアップルコンピュータが動きはじめていました。
そんな中で和製ボードパソコンの1号は、「TK-80」でした。これの設計思想はアマチュアや初級技術者の学習用だったと 思います。実用的には拡張性が少なく、電気容量にも余裕が少ない事は後に知りました。
当時はまだ機械語の時代でした。従って、使用する機械語の種類でボードコンピュータの種類が分かれました。以降の 主流となったのが、インテル8080系です。
それと競合していたのが、モトローラ6080、とアップルに搭載されていた6502系です。後者は、6080のサブ集合的な 機械語体系でしたのでボードパソコンでは少数派でした。
6080の代表は日立のボードパソコンでした。これの設計思想は「TK-80」と似ています。ただ私が購入したのは、富士通の 関連ショップだったので、「Lkit80」というボードパソコンでした。後で知りましたがこれは全く設計思想が異なりました。 工業用のマザーボードに指して使用するものの転用でした。従って長所は拡張性が高い。短所はマニア向けサポートが弱い・ 普及させる意図が少ない等です。
この後で、このボードに周辺ボード・機器を追加してゆきますが、拡張は可能ですが情報がほとんど無くて、他のボードパソコン 用のソフトやインターフェイスを書き換える作業が必要でした。(2008/09/02)
ボードパソコンの拡張
CPU、メモリーの拡張は上記ですが、これだけでは不十分で次々拡張に努力しました。
まずはビデオラムボードとモニター(グリーン)とフルキーボードを追加しました。これで2次元画面表示になりました。
次にプログラム言語の導入です。これは別の所でも書いていますが、vtlからタイニー言語・8kBASIC、そのたミニ コンパイラなど多数です。メインは、Kと呼ばれたミニコンパイラと、電通大2kBASICを改造した大阪府立大BASIC です。
その次は、プリンタの増設です。アセンブラと逆アセンブラを作ったので印刷機能が必要になります。機種は当時一番 安価な「1ヘッドの横8ドットのドットインパクトプリンタ」です。通称「ウッドペッカー」と呼ばれました。
安価ですが遅くて、音が大きい欠点がありました。
タイニー言語でゲーム等を、8kBASICで数値計算を楽しんでいました。しかしここで、拡張に突き当たりました。
外部記憶がカセットテープレコーダーで、インターフェイスが300ボーという遅さです。しかしHDDを増設出来る能力は ありませんでした。
そしてこのころには、HDDもつなげる一体型パソコンが続々と登場していました。そしてついに、6800系のパソコンも 登場しました。いよいよ乗り換えです。それを決定つけたのはある機能が搭載されたからです。時系列的には一体型パソコン に続きます。ただしボードパソコンについても想い出を書いて行きます。(2008/10/05)
学習用ボードパソコン
ボードパソコンの最初の販売目的は「学習用」でした。
文字通り、高価で能力も低いボードコンピュータを購入した人は、自分自身でコンピュータを触って動かしたい人間の 集まりでした。その意味で学習用であった訳です。そしてその後のパソコンの発展を進めたのは、この購入者でした。
メインフレームという大型コンピュータは既に実用されており、専用の技術者はいました。企業にも計算センターやそれに 相当する部署は存在していました。ただ、機械語を使用する専門家と、各企業でコンピュータメーカーの作るシステムの運用・ メンテナンスを行う担当者にわかれていました。
この状態は、コンピュータメーカー主導で利用者側の要望は反映されないです。パソコンがこの後に、実働化された時に 一番驚かされた人たちは、わずかな変更(例えば出力文字に、スペースを1個加える)が直ぐに出来た事です。
ボードパソコンで学習して次の色々なパソコンの利用に進んだ人と、メインフレームを学校で学んだ人との意識の違いは この後も長く残りました。
用途のない機器といわれて登場し、広がったその後のパソコンですが、学習用のボードパソコンから取り扱いを始めた 人たちにとっては、用途は無限大でソフトがなければ自分で作る時代が結構長く続く事になりました。学習用というのは 非常に重要な用途であるとの認識が必要と思います。(2008/11/09)
工業用ボードパソコン
ボードパソコンのメインの販売目的は「工業用」です。
いわゆる組み込みボードパソコンです。チップを集めて、入出力も付けたモジュールです。
これには開発ツールがあり、製品として機器に組み込むのは量産的な使い方です。従って用途によっては、ボードパソコン 自体に組み込み前の設定や開発機能は不要です。
初期に登場した「学習用ボードパソコン」には、この工業用を転用したものもあります。ソフト開発に必要な部分がつけ 加えられました。実際は実用品で学習用には向いている筈でしたが、実際に購入した人はアマで娯楽用として購入した人が メインでした。
それゆえに、販売側と購入側とにギャップが生まれてしまいました。度々でる「学習用」とは主に、コンピュータや情報 を専攻しない人の学習用で、娯楽用が個人レベルで強かったのです。
仕事レベルを意識し始めるのは、一体型パソコンになってからです。(2008/12/21)
ボードがパソコンの構成単位に
パソコンが一体型になっても、内部は回路板に電子部品が並ぶ構成です。
そしてそれがより高い機能になると、CPUと同時にいわゆるチップセットが同じ回路上に載り、全体として機能モジュール となる時代へと変わって行きます。
そして、必要最小限のモジュールが1ボードに載り、その単位で機能を追加して行きます。それが機能が向上した・顧客の 機能要求が分かれ始めた時の完成パソコンの製作方法になります。
ノートパソコン等の小型の登場で複数枚の回路板が使用しにくい環境も同時に出来ましたが、デスクトップという分野では ボードパソコンと一体型パソコンは、統合される事になります。
その先は不明ですが、ノートパソコンではどのようになるのか興味があります。デスクトップと同様なカスタマイズが考えだされる のでしょうか。
ボードコンピュータのモジュールが、一体型パソコンに組み込まれるのか他の機器に組み込まれるのかは用途別ですが、モジュール 化は効率の良い方法です。(2009/03/08)
機械語に浸り、ミニ言語に熱中した時期
BASIC言語が、ソフトの中心だった時期
アプリケーションソフトの登場でプログラムから離脱