一体型パソコン
ボードパソコンが広がり、メモリー増設からミニ言語(パルアルト・タイニー・BASIC):8080系が広がり、それに対抗して 6080系の電通大タイニー・BASICが登場しました。
こうなると、メーカーでもミニ言語を実装した一体型パソコンを発売しはじめました。最初はやはり、日本電気で8080系です。 これがヒットすると対応メーカーも増え始め、BASICも標準タイプに進化したものに変わりはじめました。
その中心が、「マイクロソフトBASIC」でしばらく標準的になります。(2008/09/07)
マイクロソフトBASIC
私はミニ言語搭載の一体型パソコンを使用していないので(まだボードパソコンの増設を行っていました)、マイクロソフト BASIC時代に跳びます。全てのパソコンを制覇した訳でも、2進化10進法の数字の問題点も指摘されましたが、インタープリタ として圧倒的な速度と機能を持つので主体となりました。
この時代のBASICの特徴は、言語自体がOS的な働きをしていた事です。メーカーはマイクロソフトBASICに機種特有の機能を 改良搭載して販売していました。それが主流でした。
一方の動きとしては、アマチュア主体のミニ・コンパイラ言語が複数作られていた事があります。機能限定・極端な記号化 等がありますが、消費メモリーが少なくコンパイラ特有の圧倒的な速度で動作するために、ゲーム等を作るためには必須となり ました。速度の必要な所のみをコンパイラで作り、それ以外はBASICという使い方も多く行われました。(2008/09/07)
機種依存機能の改良
この時代のパソコンでは、BASICはOS的でした。従って、色々なメーカーの発売するパソコンの固有の機能はマイクロソフトBASIC に各メーカーが書き加えたものです。具体的には、外部インターフェイスや、内部のメモリー空間をBASICで使用するか、その他の プログラムで使用するかの選択です。
上記の後者については、正式な機能としてサポートされるのはメーカーによりバラバラでした。そしてBASIC以外で何を動かす かは具体的にソフトが登場する必要がありました。
何しろBASICがOS的機能を持っていますから、BASICを切り離す事は必要最小限のOS機能は動作プログラムが持つ必要があるから です。現在のパソコンは、一部のROM以外は全てRAM空間でOS自体も最初に読み込む設計です。それによってOSの種類も切り替える 事が出来ます。初期にも必要なプログラムを読み込むという考えはありましたが、それの最初がOSとして明確になるのはしばらく 後になります。(2008/09/28)
日本語対応機種の登場
この頃はパソコンとワープロとは、棲み分けていました。それを大きく揺るがしたのが「日本語対応機種」の登場です。
アメリカ生まれのパソコンとソフトでは、本格的な日本語は使用できませんでした。これを使用可能にしたパソコンが登場しました。 一体型パソコンでは、遅れていた富士通が「FM-8」を出しました。これは色々と不思議な特徴がある機種でした。これについては 別に述べるとして、発売からあまり間をおかずにBASICで書かれたワープロソフトが発表され、続いて専門会社からマシン語仕様の 本格的なワープロソフトが発売されました。特に後者は実用性が高く、価格は高価でしたがインパクトは大きかったです。
これからあまり遅れずに、パソコンのトップシェアの日本電気から「日本語対応機種」「N-8801」が発売されました。これは、 ユーザー数的に非常に急激な広がりをみせました。
日本語ワープロの入力方式は、色々と模索されていました。仮名−漢字変換はそのなかの1つの方式でした。しかし、他の方式 が専用のハードを必要としていますが、この方式は全てソフトで対応します。
パソコンの「日本語対応機種」の登場は、追加ハードを必要としない「仮名−漢字変換」方式を必要としました。完全に収斂する にはまだ若干の時間がかかりましたが、パソコンでのワープロソフトの普及が「仮名−漢字変換」方式を広げた事は間違いないでしょう。 (2008/10/19)
64Kの壁と拡張
当時のCPUは8Bでメモリー空間は64Kでした。その後、16BのCPUが登場してメモリー空間も広くなります。
それまでの期間は、BASIC・ロムと日本語文字ロムとを如何に限られたメモリー空間で使用するかの問題で機種の個性がありました。 重ねあわせた複数のメモリー空間を切り替えて使用するのが一番普通でした。用途的に限定されたロムですから普通の考えです。
2つのCPUを使用して2倍のメモリー空間を確保する事も行われています。片方はカラー表示用エリアが殆どです。これは富士通の 方式です。改良によって次第にダイレクトアクセスが可能になりましたが、最初は表示用のエリアはBIOSを使用してのみアクセス可能 でした。そのときに有名なのが「YAMAUCHI」命令です。
元々はメンテナンス用に設けられ、上記パスワードを使用して通信していました。ただこの命令で表示エリアにもユーザーがアクセス 可能になりました。
8KCPUか16KCPUかという時代もしばらく続きました。16KCPUが決定的に速度が速いとまでは言い切れなかったからです。動作速度は トータルのハードとソフトが揃って向上するからです。(2008/11/30)
機械語に浸り、ミニ言語に熱中した時期
BASIC言語が、ソフトの中心だった時期
アプリケーションソフトの登場でプログラムから離脱