雁木戦法
檜垣是安で有名な、雁木囲いは江戸時代では固い囲いでした。昔は玉を固める手法が発展していなかったのです。
相掛かりが多く、矢倉囲いも相手に飛先を交換されて組む事が多いでした。これでは固くなりません。 序盤早くから角道を止める7七銀からの囲いは昭和20年台後半です。6六歩と止める矢倉囲いはそれよりももっと最近です。 これらの矢倉囲いの手法が発展すると、相手の飛先を金1枚で守る雁木囲いは弱い囲いと変わりました。
そして、雁木囲いの4枚の形では攻撃力が不足です。結局1枚の金か銀が攻撃に参加します。それは囲いがより弱くなります。 現在では、先手なら6五歩を伸ばし銀を繰り出す戦型のみが残っています。ただしそれも少数派です。
雁木戦法2・実戦譜
後手・うそ矢倉対先手・雁木居角
後手が変化に出たときに、先手が後手の飛先を77角と受けた時は囲いが別れる。
本局の雁木組も1つです、その後での角の使い方で大きく別れます。
本局は角交換を避けて居角に戻し、65歩から25桂と攻勢を取ります。
後手の囲いの牽制でもあったが、構わず22玉としたので攻め合いになった。
後手の65歩位奪還が大きく、6−8筋を制圧されて雁木が攻め合い負けになった。
後手雁木模様・相居飛車力戦
雁木は駒組の途中形だ、そこから姿を変える。
飛先は弱いが3−5筋は、勢力が強い、双方がそれを主張すれば力戦になる。
本局は後手が雁木模様に組むと、先手が玉頭を盛り上がった。
後手もゆっくり組むと遅れるので、囲いの途中で盛り上がりに切り替えた。
その結果、前例の少ない力戦に終始する事になった。
後手雁木・先手矢倉
2017年頃からプロ棋戦で雁木が増えたが、1970年代にも一時指された。
それは飛先の歩交換をさせて、45歩と角道を通して先手の矢倉を狙う戦型だった。
本局は先手の矢倉模様に対して、後手が上記を含みにした、ただし25歩・32金に46歩と位を保った。
後手はそれを見て、33角から51角と3手角を目指し、先手は矢倉で受け止めた。
先手は57角から48角・26角と使い、後手は63金から74金と攻めた、。
後手雁木・先手変則陣形
後手の32金・33角の注文に先手は66歩と止めた。
相腰掛銀から後手は雁木に構えた、先手は矢倉にしたが角の使い方が問題となった。
先手は68金左から78玉とするが依然角は働かず、飛と右桂を動かした。
後手65歩に、先手は75歩・同歩・76銀と角道を開けたが続かず、64桂で受けが難しい。
先手は32銀成・同玉・83金が無理と見て97角とするが、自陣が持たなかった。
後手雁木・先手矢倉
先手の早い66歩からの居飛車に対して、後手は雁木に構えた。
先手は総矢倉から4手角を目指し、後手は65歩と先行した、先手の37桂は疑問だった。
後手は65銀から銀交換して27銀と打ち込み、先手はやむなく15角から角を切って25桂と攻めた。
後手には76桂・93角・84銀の傷があり難しいが、先手は銀を清算して攻めた、後手42玉は飛と近く危険だった。
先手の54歩から58飛が受け難いが47角が悪い、後手は入玉を狙い難しくなった。
後手が69銀からの攻めたが自爆した、先手58歩は22竜・同歩・33銀・25玉・14銀の詰めるだった。
先手雁木・後手土居矢倉
先手の早い66歩からの居飛車に対して、後手は矢倉模様に組んだ。
先手の雁木から77角に対して、後手は31角から86歩で歩と角の交換を狙った、先手は87歩から77同桂と応じ互角だった。
先手は玉で端をカバーした、後手は52金と43金と32玉で土居矢倉と呼ばれる形に組み、それは角交換では多い形だ。
後手の63銀はやや疑問で、先手は馬を作り、後手は44角と応じるがやや疑問で、普通に73桂だった。
先手の73馬切が大悪手だった、以下進んで63金で銀を取るが大駒なしでは悪い。
後手が豊富な持駒で先手玉を攻めると、そのまま押し切った。