想い出日記「日本版改良CPU」
CPUは、2系統(3系統)が一般向けで使用されていました。6800系と6852系は命令語体系が似ているので1系統と見る事もあり ました。
1つはインテル8080をスタートとします。日本では一部改良したNEC8080Aになります。最初のボードパソコンにも搭載されていました。 その後はインテルCPUと、NECの互換CPUが使用されています。32ビット時代からは、アメリカのインテルとその互換CPUの時代になります。
インテルCPUは、当初からマイコンとして開発されたもので、パソコン以外の組み込みにも使用を広げていました。
もう一方が、モトローラ6800系です。こちらは日立のボードパソコンに搭載されています。元々は、ミニコンの命令体系を基に設計 されており人気はありましたが、使用者は少数派でした。一体型では、途中からインテル系になりました。
富士通は、6800系ですが独自に4命令加えたCPUを使用しています。これもボードパソコンでは少数派で、一体型パソコンでユーザー を増やしましたが、結果的にNECに及ばずインテル系に最終的には変わりました。
6852系は日本では、使用されていませんがアメリカ製パソコンのアップルをはじめ複数の一体型パソコンで使用されていました。 従って日本にもファンはいました。(2008/11/02)
想い出日記「カセットテープ外部記憶」
パソコンの外部記憶装置の歴史は、実用化の歴史ともいえます。
初期の大型コンピュータは大型磁気記憶装置を使用していました。パソコン・ボードコンピュータでは、仕様的・価格的に無理なので カセットテープを外部記憶に使用していました。
音声記憶用の機器ですが、通信の最初は電話+音響カプラーですから、音声信号は切り離せないです。
外部記憶装置にも2種類あり、媒体が着脱可能なものと不可能なものです。カセットテープは着脱可能ですので、記憶方法に規格を 設けて機器・機種間の互換性を持たせる必要があります。
この規格を決めた都市名で「カンサスシティ・スタンダード」と呼ばれました。精度確保から、300ボーの速さです。
すぐに技術改良から規格変更の時代で、すぐに2400ボーの「サッポロシティ・スタンダード」が登場します。
そしてこれが最後になりました。次第にHDD(ハードディスク)が安価になりつつあり、使用する人が増えてきたからです。初期の HDD装置は外部の別の機器で大きさもパソコン本体と同じくらいでした。(2008/11/09)
想い出日記「グリーンモニター」
ボードパソコンの表示装置は、電卓風の16進の「8字タイプ」のディスプレイです。これの8セグメントを増やして、アルファベット 26文字も表示しようとした機種もありますがやはり苦しいです。
比較的に早く登場したのが、ビデオラムとグリーンモニターの組み合わせです。64Kビットの一部をブラウン管に割り当てて、そこに 書かれた内容が表示される機器です。
はじめは、1面ですのでいわゆるモノクロです。装置的にはグリーンのマスクが掛かっており、緑色に表示されました。
カラー化ディスプレイも、その継ぎに登場しますがしばらくはこのグリーンモニターが主流でした。
モノクロで解像度も低いですが、文字が自由に表示できます。
1文字を4分割したドット文字を持ち、ソフトでその1ドットごとにオン・オフする事で、縦横2倍(面積で4倍)の疑似グラフィック も行う事が出来ました。
半導体メモリーが急激に価格ダウンする事で、本格的な表示方法にそしてカラーに変わって行きます。(2008/11/16)
想い出日記「16進ディスプレイとキーボードの行方」
ボードパソコンでも直ぐに、フルキーボード+ビデオラム・グリーンディスプレイを設置する事に移行しました。ただ初期は、外部記憶 カセットテープとのインターフェイスは、元の16進キーを使用していました。
システムロムの起動と16進キーが連動している間は、16進キーは起動とカセットテープ用に使用していました。
そこから先に進んだ人もおれば、その環境で使い続けた人もいます。
通常は不便な環境ですが、それを利用する事もありました。入力キーが2つありますから2人ゲームが容易に作れるのです。
専用ゲーム機・通信ゲーム機の登場までは、複数人の同時ゲームはなかなか制作は困難でした。しかし、一番はじめのボードパソコン の発展形の時のみは、機器構成のだぶりが逆に利用出来ました。
16進ディスプレイの用途は非常に限られています。一番多いのが電卓用途と時計用途です。
企業で購入したボードパソコンは勉強も兼ねて時計として使用していました。複雑なプログラム設定時計の用途向きです。(2008/11/23)
想い出日記「TYNY・BASIC」
最初のアマ向けのシステムはメモリー容量や外部記憶装置の弱さで、言語が小型に限られていました。インテル8080系はパルアルト TYNY・BASICが殆ど使用されていました。モトローラ6800系は電通大TYNY・BASICで、プログラムサイズは2KBでした。
これらはマシン語で供給されていましたので、使用者は各々のシステム向けに移植していました。そして、カセットテープからRAMに 読み込んで使用しますから(ROMではなく)自由に内容の改造を行っていました。
私が使用していたのは、6800系ですが電通大2Kではなく、大阪府立大で日立製のボードパソコン用に改造したミニグラフィックにも 対応した「中百舌鳥TYNY・BASIC」を富士通のボードパソコン用に移植して使用していました。
正数BASICは、教育用・ゲーム用以上の用途には広がったのかどうかは不明です。
なぜならば小数点が使えるマイクロソフトBASICが標準になりましたし、同時にアマの制作した記号言語のミニコンパイラが多数登場 したからです。
インタープリタの整数BASICは意外と短い寿命だったと記憶します。(2008/11/30)
機械語に浸り、ミニ言語に熱中した時期
BASIC言語が、ソフトの中心だった時期
アプリケーションソフトの登場でプログラムから離脱