大仏開眼
- キャスト
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吉備真備(吉岡秀隆)
阿倍内親王(石原さとみ)
藤原仲麻呂(高橋克典)
玄昉(市川亀治郎)
吉備由利(内山理名)
橘諸兄(草刈正雄)
藤原宮子(江波杏子)
行基(笈田ヨシ)
光明皇后(浅野温子)
聖武天皇(國村隼)
海蔵(山中聡)
藤原武智麻呂(苅谷俊介)
藤原広嗣(波岡一喜)
安積親王(中村凜太郎)
真備の母(宮下順子)
大伴家持(中山麻聖)
藤原巨勢麻呂(南圭介)
藤原房前(門田裕)
藤原宇合(井之上チャル)
藤原麻呂(田村ツトム)
伎楽(天理大学雅楽部)
- 前編
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奈良・東大寺の廬舎那仏は1258年前に作られた。 天平6年(734)11月に東シナ海で遣唐使船は嵐に逢い遣唐使・下道(のちの吉備)真備(吉岡秀隆)は僧・玄昉(市川亀治郎)から沈まぬと言われ、嵐が過ぎ17年ぶりの日本帰国で高い望みを持てと言われた。
天平7年(735)春に奈良平城京に真備は戻り妹・吉備由利(内山理名)と母(宮下順子)に会い地震で家の屋根は壊れていた、真備は近所の子らに唐の話しをし、唐は100年以上かかり完成した美しい国だと藤原仲麻呂(高橋克典)に告げた。
真備は葛城王(後の橘諸兄)(草刈正雄)に招かれ仲麻呂と朱雀門近くの館に行き、楽器や暦を見せ学才を認められ、平城京東院で大伴家持(中山麻聖)は葛城王の妹・光明皇后(浅野温子)に歌を詠み、真備は母の為に館を建てたいと望み、光明皇后の娘・阿倍内親王(のちの後謙天皇)(石原さとみ)に会った。
真備は阿倍内親王に学問は理屈だと告げ、祖母の聖武天皇の母・藤原宮子(江波杏子)の病を直したいと言われた、天平7年(735)3月に遣唐大使・多治比真人広成らが聖武天皇(國村隼)に拝謁し遣唐使らは身分を与えられ、右大臣・藤原武智麻呂(苅谷俊介)と藤原房前(門田裕)と藤原宇合(井之上チャル)ら藤原一族と古い貴族らが対立していた。
真備は玄昉と街を歩き「権力を得て大きな盧舎那仏を作りたい」と聞き、藤原広嗣(波岡一喜)は大伴家持と議論し真備は感情でないと告げ、真備は仲麻呂から玄昉の取立を批判され、玄昉は宮子に仏を説いた。
国は飢饉に陥り放浪の犯罪人が増え朝廷は取締り、真備と由利らは放浪者・海蔵(山中聡)を助け、真備と葛城王は右大臣に拘束され「玄昉が宮子の病を治したと告げた」が治っていないと責め、真備は仲麻呂から誘われ玄昉を推挙する間違いを犯したと告げた。
聖武天皇は館から出た宮子に会った、朝廷は玄昉を役職に就け、天平9年(737)に天然痘で発生し、真備は人々を遠ざけ阿倍内親王を逃し自分の館に連れ、房前と宇合と武智麻呂らと藤原の四兄弟が病死した。
日蝕が起きて旱魃で餓死者が増え、聖武天皇は動揺し自身の不徳と告げ、大納言に葛城王改め橘諸兄を任命した、聖武天皇は宮子から大きな盧舎那仏を作れと言われ、真備は阿倍内親王の教育係を務め「国の統一が必要」と告げ、僧・行基(笈田ヨシ)が百姓の為に働いていた。
真備は玄昉に盧舎那仏建造には多数の費用がかかると告げ議論し対立し、真備と海蔵は橋を作る行基を訪ね、行基は治療場の布施屋を開き各地で工事し、真備は行基から海蔵の橋作りの執念を聞き「国を見れば手を下すしかない」と言われた。
天平10年(738)に阿倍内親王は皇太子に成り、翌年に真備と由利の母が死に、天平12年(740)に太宰府付近で藤原広嗣が叛乱を起こし、朝廷は軍を派遣を決め、右衛士督・真備は右大臣・橘諸兄の呼び出しに応じず、宮中で聖武天皇に会い「藤原一族が作った都が乱を起こす」「聖武天皇が光明皇后と都を出て朝廷を移せば乱は防げる」と告げ、聖武天皇は河内で盧舎那仏を見て魅せられ都で作りたいと告げるが真備は同意しなかった。
仲麻呂は光明皇后と藤原巨勢麻呂(南圭介)と乙麻呂が戦の準備をし、真備は一人で来て仲麻呂を捕らえると告げ祖父・不比等の作った律令の狙いを説き「光明皇后を巻き込むと聖武天皇の敵になる」と告げ、仲麻呂が聖武天皇と都を出ろと頼んだ。
天平12年(740)10月に聖武天皇は都を離れ旅に出た。
作・脚本:池端俊策
演出:田中健二
- 後編
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聖武天皇(國村隼)は都を去り各地を巡り、山背国恭仁京に都を移したが建設は進まなかった、母・藤原宮子(江波杏子)は廬舎那仏建設を望み、光明皇后(浅野温子)は右大臣・橘諸兄(草刈正雄)に大仏造立を命じた。
下道真備(吉岡秀隆)は国の疲弊を理由に反対したが、諸兄は安積親王(中村凜太郎)の世継ぎを考えた、真備は工事現場で行基(笈田ヨシ)から「都造成には人は働かない」と言われた、阿倍内親王(石原さとみ)と真備は聖武天皇を行基に連れて僧の身分を与えると告げ、廬舎那仏建設の協力を求め真備は反対し、行基は皆の心が決めると告げた。
真備は玄昉(市川亀治郎)から狙われていると聞き、天平15年(743)に天皇が大仏建設を告げ行基は民に伝え、聖武天皇は難波宮に向けて発つが安積親王が体調を崩して恭仁京に戻った。
恭仁京で藤原仲麻呂(髙橋克典)と玄昉は安積親王を殺害した、真備は平城京に戻る条件で仲麻呂と会い負けたと告げると朝廷から手を引けと言われた、天平17年(745)5月に平城京に戻り、大仏建設が始まった、玄昉は太宰府に送られ殺害された。
天平感宝元年(749)正月に吉備真備(吉岡秀隆)は行基と「仲麻呂が横暴で大仏造立に遠い人物だ」と話し、真備は大仏建設現場で諸兄に会い「仲麻呂が、真備の九州行きとその後の唐行き」を決めたと聞き、真備は妹・吉備由利(内山理名)と阿倍内親王と話し天皇になれと求めた。
天平勝宝元年(749)7月に孝謙天皇(石原さとみ)が即位し、真備は天平勝宝4年(752)に第12次遣唐使となった、4月に東大寺で廬舎那大仏開眼供養会が行われ多数の人々が集まった、光明皇后は紫微中台の長に仲麻呂を就け政事を行い、仲麻呂は孝謙天皇を無視して国の制度を歪めた。
天平勝宝6年(754)正月に由利は孝謙天皇に真備の帰還を告げ、真備は仲麻呂に国が乱れていると告げ夢で大仏を見る罰を受けていると言われたが退陣を求めた、真備は太宰府行きを命じられた。
天平勝宝8年(756)に聖武太上天皇が崩御し仲麻呂は名を恵美押勝と変え昇り詰めたが、天平宝字4年(760)に後だての光明皇太后が崩御し、平宝字8年(764)に孝謙太上天皇は造東大寺長官として真備を都に呼び戻し、仲麻呂追討の火の手が上がり仲麻呂は都から逃げた、滋賀三尾崎で真備は仲麻呂を討った。
演出:田中健二
脚本:池端俊策
出演者:吉岡秀隆・石原さとみ・高橋克典・市川亀治郎・内山理名・草刈正雄・江波杏子・笈田ヨシ・浅野温子・國村隼・山中聡・苅谷俊介・波岡一喜・中村凜太郎・宮下順子・中山麻聖・南圭介・門田裕・井之上チャル・田村ツトム
製作年:2010年