独眼竜政宗2
- スタッフ
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脚本:ジェームス三木
原作:山岡荘八『伊達政宗』
- 第10回:1987年3月8日:男の器量
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米沢から会津へは福島廻りの遠回りと檜原廻りの近道があった、喜多(竹下景子)は愛姫(桜田淳子)に案じるなと告げ、檜原峠の本陣で伊達政宗(渡辺謙)は伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)と留守政景(長塚京三)らと、鬼庭綱元(村田雄浩)と原田左馬助(鷲生功)から内報者が出て退却を聞き、小十郎は一旦の引き上げを告げたが、伊達勢は戦った。
伊達輝宗(北大路欣也)と鬼庭左月(いかりや長介)と遠藤基信(神山繁)らは隠居城で憂慮し、政宗は猪苗代盛国の懐柔に失敗し、小十郎は戦の駆け引きを求め、政宗は後藤孫兵衛(佐野史郎)を檜原砦に残し、退却した。
政宗は米沢に戻り輝宗らから大事に至らず巻き返しを告げられ、お東の方(岩下志麻)は信用を失ったと責め、政宗は夢を見て虎哉宗乙(大滝秀治)から地獄を見たと聞き、政宗は芦名家を揺さぶる手立て評定衆とを考え北条と手を組み挟み打ちを狙い、基信が羽柴秀吉(勝新太郎)からの書状を政宗に渡し関白になったと告げた。
秀吉は大坂城で諸大名と会うが、徳川家康だけに困り、輝宗は山家国頼(大和田伸也)に政宗の旗本にし御佐子(鷲尾真知子)との仲を考えたが中止し、輝宗は喜多に国頼との縁談を求めたが結婚はせず好きな男は知っている筈と言われた。
政宗は内応者を見つけ大内定綱(寺田農)討伐を考え出陣を決め、老家臣らが若者中心に反対し、政宗は小十郎と成実と綱元と団結を誓い、出陣した。
演出:樋口昌弘
- 第11回:1987年3月15日:八百人斬り
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1585に伊達政宗(渡辺謙)は仙道筋を南下し、三春田村家当主・田村清顕(久保明)と向館内匠(山形勲)に会い、片倉小十郎(西郷輝彦)と伊達成実(三浦友和)と軍議し、大内定綱(寺田農)は芦名と畠山に援軍を求め小手森城に籠もった。
翌日成実は勝手に軍を移動し、小手森城の使者が定綱が居なくなり降伏を申し出たが小十郎が不審を感じた、愛姫(桜田淳子)と喜多(竹下景子)は政宗の手紙を読み、政宗は小手森城兵の悪口を聞き総攻めを命じた、激闘4時間で小手森城は落ちたが定綱は居なく、政宗は八百人皆殺しを命じた。
政宗は病で悪夢でうなされ目覚め、成実の妻・登勢(五大路子)が看病し、小十郎は成実に政宗が外へは鬼で内には慈悲を持つと告げた。
政宗は小浜城を攻め、定綱と大内長門(塩見三省)は芦名家臣と議論し、伊達輝宗(北大路欣也)が留守部隊を連れ米沢を出発し、芦名家臣は会津引き上げを主張し定綱は長門に明朝小浜を去ると告げた、翌朝に政宗は無人の小浜城を占領した。
蔦(音無美紀子)は愛姫と喜多に勝利を祝い喜多はこれからが大戦になると告げ、政宗は宮森城で輝宗と会い祝い、輝宗と鬼庭左月(いかりや長介)は畠山義継(石田弦太郎)が和睦を求めていると告げ、政宗は反対し輝宗は思い上がりと諭した。
演出:吉村芳之
- 第12回:1987年3月22日:輝宗無残
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二本松城の畠山義継(石田弦太郎)に、小浜城の伊達政宗(渡辺謙)と宮森城の伊達輝宗(北大路欣也)が対峙した、義継は伊達実元(竜雷太)と伊達成実(三浦友和)と共に輝宗を訪問し鬼庭左月(いかりや長介)と遠藤基信(神山繁)と留守政景(長塚京三)らと会い詫びた。
政宗は輝宗と家臣らと議論し人質と領地の殆どを求めた、義継は無理だと言うと輝宗は政宗は譲らないと答えた、その夜輝宗は政宗を訪れ得たいの知れぬ恐ろしさがあり、代が変われば血縁が薄まり完全に敵を討てると告げた。
二本松城で義継は家臣と家族と対応を話し再度申し入れると決め、義継は三度阿武隈川を渡るが政宗は会わず、義継は輝宗に会い偽りを告げ送らせて、門で輝宗を人質にした、家臣らが追うが逃げ、政宗は知らせを受けて渡し場に向かい、輝宗は刀を向けられて義継を討てと命じ、片倉小十郎(西郷輝彦)は道を開けさせ、政宗は輝宗に恥だと言われ鉄砲隊を撃たせ義継一行を討ったが、輝宗は義継に刺し殺された。
政宗は輝宗の遺体を連れ帰り、二本松討伐を告げたが輝宗の葬儀が先と諭され、二本松城は篭城を決め、政宗は輝宗の遺体を母に見せられず小十郎が荼毘を勧めた。
演出:吉村芳之
- 第13回:1987年3月29日:人取橋
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二本松の粟の須で伊達輝宗(北大路欣也)は死に、伊達政宗(渡辺謙)は遺体を領地の寺に運び火葬した、お東の方(岩下志麻)と竺丸(岡本健一)は虎哉宗乙(大滝秀治)と鬼庭左月(いかりや長介)と遠藤基信(神山繁)らで運ばれた輝宗の遺骨に会い、殉死者が出た。
政宗は雪で行軍したが二本松は篭城した、政宗は伊達成実(三浦友和)らに後を任せ米沢に戻り葬儀を行った、政宗と愛姫(桜田淳子)はお東の方から父を殺めたと同然と非難され、片倉小十郎(西郷輝彦)と左月は疑う老臣らに輝宗は畠山義継(石田弦太郎)に殺されたと断言し、家臣の落ち度は認めたが政宗に間違いはなかったと答えた。
小十郎は妻・蔦(音無美紀子)に生まれる子が男なら命を絶てと頼み喪に服すと告げ、政宗はふたたび小浜城に向かい、基信は輝宗に殉死し、政宗は成実と留守政景(長塚京三)と殉死を禁止させたが、須田伯耆(左右田一平)が殉死し、喜多(竹下景子)は小十郎に輝宗への想いを告げ、政宗は虎哉宗乙から旅に出ると聞いた。
芦名・佐竹・岩城・石川・白川連合軍が二本松救援の為に須賀川に3万の軍を引き、伊達は各地から小浜に8千が集結し、本隊は押され続け、左月は政宗の代わりに激戦地の人取橋に向かい討ち死にした、政宗が出陣して勝利した、鬼庭綱元(村田雄浩)は左月の最期を看取った。
政宗らは勝利し二本松に向かった。
演出:西村与志木
- 第14回:1987年4月5日:勝ち名乗り
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伊達政宗(渡辺謙)は冬の二本松城は攻められず小浜城に留まり、伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)と雪どけを待ち、政宗は小十郎に「その妻・蔦(音無美紀子)が産む男子を殺す指示を出し、愛姫(桜田淳子)から命乞いが来た」と告げた。
喜多(竹下景子)は蔦を訪ね産婆が連れた子を助けた、喜多は鬼庭綱元(村田雄浩)から鬼庭左月(いかりや長介)の最期を聞いた。
最上家臣・氏家守棟(平松慎吾)がお東の方(岩下志麻)を訪ね政宗と豊臣秀吉との対立が危ないと告げた、春に政宗は鈴木重信(平田満)と茶をたて財政役を探し、豊臣秀吉(勝新太郎)は徳川家康(津川雅彦)に手を焼き妹・旭姫(野川由美子)を離別させた。
6月に二本松城は兵糧がつき、小十郎は無傷で手に入るなら和睦するべきと告げ、伊達実元(竜雷太)は田村の意向を聞いてからと告げ、二本松城で畠山義継の妻・綾御前(市毛良枝)は家臣らと相馬の和睦を議論し、留守政景(長塚京三)と実元は和睦が決まり成実に城受け渡しを命じた。
政宗は街道筋を支配し、成実に二本松城を与え、大森城は小十郎に与え、その他知行仕置きした、政宗は重信から自身が財政役に適すと聞いた。
政宗は米沢に凱旋し、愛姫に「秀吉は妹を家康を人質に出し、次ぎに母も送る」と告げ、徳川家康は大坂に行き秀吉と会い手を結んだ。
演出:樋口昌弘
- 第15回:1987年4月12日:めごとねこ
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天正14年(1586)に愛姫(桜田淳子)は伊達政宗(渡辺謙)から実父・田村清顕の死を聞き、お東の方(岩下志麻)は政宗に竺丸(岡本健一)を田村の養子を反対し、暮れに政宗は愛姫の母から手紙を受け取り伊達から離れる積もりと考え愛姫に手紙で反対させた。
政宗は山家国頼(大和田伸也)から芦名家嫡男の急死を聞き、片倉小十郎(西郷輝彦)と留守政景(長塚京三)らと対応を話し竺丸を送る事を考え、お東の方は芦名家ならばと考えたが最上の意向を求めた。
愛姫は喜多(竹下景子)に政宗との仲直りを求められ、喜多は政宗に取りなし、政宗は荒れて剣術を稽古した、飯坂宗康(東八郎)が娘(秋吉久美子)を連れて政宗に会い侍女に差し出し、最初の側室になり猫御前と呼ばれた。
愛姫は喜多から政宗の気持は変わらぬと言われたが田村に帰りたいと告げ、お東の方は猫御前と愛姫を呼び会わせて、正室と側室の立場を告げ、仲良くせよと求めた。
翌年に芦名が佐竹から養子を迎え、政宗は芦名を滅ぼすと決意し、春に伊達実元(竜雷太)が危篤になり伊達成実(三浦友和)と登勢(五大路子)に時節到来を待てと告げた。
愛姫は「田村家から伊達家に忠節を尽くす使者がきた」と聞き、政宗は宴を開くが実元が死に宴を止めた、政宗らは鈴木重信(平田満)から豊臣の九州征伐を聞き、小十郎は徳川家康の動きに注目し、政景は時節を待つと告げた。
演出:吉村芳之
- 第16回:1987年4月19日:南北の敵
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天正15年(1587)春、喜多(竹下景子)は蔦(音無美紀子)と片倉小十郎(西郷輝彦)の子と過ごし馬印を贈り、二本松城で伊達成実(三浦友和)と登勢(五大路子)が過ごし、愛姫(桜田淳子)と猫御前(秋吉久美子)は互いを気にした。
秋に伊達政宗(渡辺謙)と竺丸(岡本健一)は鈴木重信(平田満)から「秀吉は九州と南に忙しい」と聞き、政宗と鬼庭綱元(村田雄浩)は鮎貝日傾斎(辻村真人)から息子の謀反を聞き、政宗は軍議を開き出陣を決め鮎貝城を落とした。
政宗は陸奥国分氏当主・国分盛重(イッセー尾形)を問い責めて逆に批判され、国分を攻めると告げて脅した、政宗はお東の方(岩下志麻)に約束を破った最上義光(原田芳雄)討伐を告げ反対され、政宗は成実と小十郎やと岩倉城主・泉田重光(高品格)と対策を話し、重光は大崎出兵を提案した。
天正16年(1588)1月に政宗は大崎出兵し、お東の方が反対し政宗から自分を嫌うと言われた、政宗は大崎出兵が不備で勝手に他を攻めたと知り、重光は新沼城に逃げこみ包囲された、義光は芦名や佐竹と手を結び動きを考え、政宗は出陣させて留守政景(長塚京三)と合流したが雪で動けず、政宗は自分の出陣を決めた。
二本松城で成実と小十郎は仙道筋への大内定綱の侵入を知り、政宗は南北の敵に囲まれた。
演出:吉村芳之
- 第17回:1987年4月26日:宮仕え
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お東の方(岩下志麻)は小原縫殿助(岡本富士太)に伊達と最上義光(原田芳雄)との和睦が必要と要求し、義光へ密書を送った。
伊達政宗(渡辺謙)は岩倉城主・泉田重光(高品格)が人質になり軍を新沼城から松山城に移動させたと聞き、重光は大崎家臣・古川弾正(青森伸)の人質となり義光と会い、寝返りを求められたが断った。
政宗は忍びから重光が山形城に連れられ、最上と芦名と佐竹が手を組と聞き、鈴木重信(平田満)は食料が不足と考え、喜多(竹下景子)は猫御前(秋吉久美子)の発言を詮議し言い争い、愛姫(桜田淳子)が止めた。
3月に伊達成実(三浦友和)が大内軍を破り、大内定綱(寺田農)が芦名を脱出し本宮に来て成実と片倉小十郎(西郷輝彦)に会い伊達への奉公を求めた、政宗は定綱を嫌うが小梁川泥蟠斎(福田豊土)から味方にする寛容さと慈悲も必要と言われた。
4月に定綱は米沢で政宗に謁見し、南奥州の情勢を告げ役に立つ・政宗に仕えたいと告げ、召しかけられた、石川弾正が謀反を起こし芦名が攻めのぼった、お東の方は愛姫と喜多に義光との和睦を政宗に勧めろと求め、義光は越後との情勢が切迫し動けず、政宗は愛姫に仙道筋に出陣すると告げ、お東の方から鉄砲50を贈られ南に向けろと言われた。
天正16年5月に政宗は出陣し小手森と田村から相馬軍を追いだした。
演出:木田幸紀
- 第18回:1987年5月3日:お東、居座る
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芦名が佐竹と二階堂と手を組み、伊達政宗(渡辺謙)は郡山に陣を進めたが数が少なく、睨み合った、政宗は軍議を開き遠藤基信の子・遠藤文七郎(中村繁之)が初陣し、片倉小十郎(西郷輝彦)が情勢を伝えた。
米沢で竺丸(岡本健一)は老婆から戦の不満を聞き声を掛け、お東の方(岩下志麻)は慈悲深い行為と聞き、陣中で政宗は二本松の生き残りに命を狙われ鬼庭綱元(村田雄浩)が駆けつけた、合戦が起こり双方に死者が出た、政宗はお東の方に最上義光(原田芳雄)と和睦したと知らせた。
政宗は決起に走る伊達成実(三浦友和)と咎め、お東の方は義光に会うが断られ大崎との和睦が先と言われ、政宗は小原縫殿助(岡本富士太)から義光が大崎との和睦を要求すると聞いたが交渉はもつれ、政宗は山家国頼(大和田伸也)からお東の方が中山峠の陣に加わり居座っていると聞いた。
梁川泥蟠斎(福田豊土)が中山峠の陣でお東の方を説得し、義光が来てお東の方に会い言い争い、政宗は南で和睦して米沢に戻り愛姫(桜田淳子)と喜多(竹下景子)が迎え、田村の母を別の城に移し甥に後を継がせたと告げた。
政宗はお東の方に会い、和睦を説得され証文を書いたが義光は応じなかった、お東の方は居座り10日後に義光が陣を引き上げ、7月に伊達と最上は和睦し、泉田重光(高品格)が解放された。
演出:樋口昌弘