徳川家康3

スタッフ

原作:山岡荘八『徳川家康』
脚本:小山内美江子』

第19回:5月15日:長篠の戦

徳川家康(滝田栄)は織田信長(役所広司)に援軍を依頼し、松平信康(宅麻伸)と吉田城に兵を集め、武田勝頼(藤堂新二)は上洛を考えた、山県昌景(井上昭文)と穴山梅雪(生井健夫)と馬場信春(長沢大)から織田の鉄砲の脅威を告げられたが無視した。
家康は長篠に陣をひき、長篠城で奥平九八郎(渡辺篤史)は城を修理し鳥居強右衛門(上條恒彦)から松平親俊(神山卓三)の250の援軍を聞き、備えた。
15000の武田が包囲し、奥平美作守(近藤洋介)が岐阜で信長に援軍要請し3500の鉄砲を集めていると聞き、長篠城は苦戦した、家康は信長を待ち、九八郎らは本丸に閉じ込められ強右衛門を使いに出した。
家康は美作守から報告を受け信長の狙いと思いを知り、岡崎で信長と家康は評定し美作守と強右衛門から報告を受けた、長篠城で援軍が来る狼煙を見た、勝頼は捕らえた強右衛門に九八郎らに援軍は来ぬと言わせようとしたが「援軍が来る」と伝わった。
信長と家康が陣をひき、評定で主導権を争い、羽柴秀吉(武田鉄矢)が計画を聞き「三十の柵に騎馬隊を誘う」と告げ、酒井忠次(福田豊土)は陽動隊で後ろの砦を攻めたいと提案し、家康は囮の先手を出すと告げ、信長は家康と忠次に鉄砲隊で策を行えと命じた。
決戦が始まり、織田の鉄砲隊は武田騎馬隊を倒した、長篠城で信長と家康は九八郎と亀姫(原日出子)に会った、浜松城で家康と本多作左衛門(長門裕之)は織田の名が表に出た事を話しお愛(竹下景子)と過ごした。


演出:松本守正

第20回:5月22日:難題

織田信長(役所広司)は天下統一を目指し官位を受け、酒井忠次(福田豊土)は祝いに岐阜城に行き信長が城普請と道の整備を命じたと聞いた。
天正6年正月に徳川家康(滝田栄)も官位を受け、平岩親吉(宗近晴見)から松平信康(宅麻伸)が徳姫(田中美佐子)の姫誕生に怒り、鷹狩りで旅の僧を斬ったと聞いた。
岡崎で徳姫は瀬名(池上季実子)から世継ぎが出来ず信康に側室との子を産ますと告げ、信康は徳姫に謝り側室を否定した、家康はお愛(竹下景子)から懐妊を聞いた。
天正7年(1579)5月に安土城が完成して羽柴秀吉(武田鉄矢)が信長に中国征伐の報告に来た、信長は武田と対立する徳川の勢力を削ぐ事を考えて濃姫(藤真利子)と徳姫のかっての手紙を見て家康に信康を斬らせる事を考え、信長は使いの忠次と大久保忠世(織本順吉)から信康の風評と僧殺害と瀬名の責任を聞き出した。
家康はお愛の子・長松丸の誕生を喜び、家康は忠次と忠世から信長が信康と瀬名の切腹を命じたと12項目の不審事項を聞き、家康は一夜じっくり考え自分の落ち度を感じた。
家康は本多作左衛門(長門裕之)に親の迷いだと告げた。
信康は信長の命を聞き瀬名に謀反の有無を問うが否定され、信長は親吉の切腹を認めず自身で信康を処分すると告げ、信長は岡崎へ兵を連れて出発した。


演出:兼歳正英

第21回:5月29日:信康追放

徳川家康(滝田栄)と本多作左衛門(長門裕之)は兵を連れて岡崎城へ入り、榊原康政(内田勝正)と野中重政(辻萬長)は松平信康(宅麻伸)を捕らえ、家康は信康を追放し謹慎を命じ、岡崎の家臣は徳姫(田中美佐子)の告げ口が原因と考え、家康は瀬名(池上季実子)の住まいに矢来を設けて出入りを禁じ、徳姫を警護させた。
家康は本多忠勝(高岡健二)や服部半蔵(樋浦勉)や石川太郎左衛門(高津住男)からの信康の命乞いを断り音信を禁止させた、信康が忍びで家康に会い謀反は無いと告げたが謹慎を求められ、家康は徳姫から信康の潔白を言われた。
家康は石川数正(江原真二郎)に信康を別の城せと命じ、信康は家康の真意が伝わらず平岩親吉(宗近晴見)から逃亡を求められ動揺したが随風(竜雷太)から話しを聞いた。
家康は瀬名に会い遠ざけて謀反を起こされたのは自身の失敗で自害は織田に屈すると告げ、作左衛門と数正は瀬名と酒井忠次(福田豊土)が狙われると心配した、家康は信長の使者から急かされ、家康は倒れ寝込みお愛(竹下景子)に看病されたがうなされた。


演出:加藤郁雄

第22回:6月5日:落花有情

徳川家康(滝田栄)は石川数正(江原真二郎)に瀬名(池上季実子)の浜松移送を命じ、本多忠勝(高岡健二)と榊原康政(内田勝正)と服部半蔵(樋浦勉)らは瀬名の自害を望んだ。
野中重政(辻萬長)と石川太郎左衛門(高津住男)は瀬名に浜松移送を伝え松平信康(宅麻伸)助命嘆願書を書き自害を求めるが家康の命を求められた。
瀬名は移送される途中の浜松の近くで重政と太郎左衛門から自害を求められ断り刺された、家康は重政と太郎左衛門から瀬名の死を聞き斬られたと感じた。
家康は病が介抱に向かい、信長の使者を受け半蔵に信康の介錯を命じ、信康は小姓から瀬名の自害を聞き「父の用心深さと母の自我が噛み合わなかった」と告げ、信康は大久保忠世(織本順吉)と使者の半蔵らに会い瀬名の自害を確かめて自身も切腹すると告げ、家康の言葉に逃亡の意味を聞いたが切腹した。
家康は半蔵を問い詰め信康の心は決まっていたと聞いた、本多作左衛門(長門裕之)は徳姫(田中美佐子)に信康の死を告げ、お愛(竹下景子)は家康が信康に困難に立ち向かうと語るのを聞いた。


演出:松本守正

第23回:6月12日:安土への道

岡崎城で徳姫(田中美佐子)は於大(大竹しのぶ)に娘を頼み去り清洲に向かい、浜松城で徳川家康(滝田栄)は北条の使者に会い、甲府で武田勝頼(藤堂新二)は徳川と北条の密約を聞いた。
天正8年に勝頼は遠江に侵攻し、家康は向かい討ち高天神城で闘い落とし、武田の勢力は衰えて行き天正10年に木曽義昌(加藤和夫)と穴山梅雪(生井健夫)が降伏し、織田信長(役所広司)と家康は甲府に進撃し勝頼は自害して武田は亡んだ。
天正10年(1582)に家康は梅雪を連れ信長に対面したが信長は配下の義昌を取立て、家康は石川数正(江原真二郎)に「信長は武田の家臣と家康との繋がりを警戒するが、自分は繋がりを持つ」と告げた。
信長は家康を安土へ招き、本多忠勝(高岡健二)と榊原康政(内田勝正)は反対し、家康と本多作左衛門(長門裕之)と数正は今は役に立つ駆け引きだと考え、信長は家康の接待役を明智光秀(寺田農)に命じた。
岡崎で家康は於大に会い信長は変わったと聞き孫姫らに会い、光秀は客殿を完成させたが信長は気に入らず森蘭丸(土家歩)に叩かせた。
家康一行は安土に着き、信長は中国攻めで援軍を求められ苦境にあり「家康が中国攻めに援軍を送る」と告げられ、光秀に家康の扱い方を命じ、光秀は接待を解任され家臣は反感を持ち中国攻めを命じられ山陰を与えると聞き、領地召し上げと誤解した。
信長は濃姫(藤真利子)から光秀の扱いと家康への対応を心配され、家康は茶屋四郎次郎(中山仁)から報告を受け、光秀は居城・坂本に向かった。


演出:兼歳正英

第24回:6月19日:本能寺の変

天正10年の織田信長(役所広司)は徳川家康(滝田栄)を能に招き楽しみ、翌日に安土城に案内して家臣らを持てなし、3日目に高雲寺で2人で寛ぎ35年前を思い起こした。
近江で明智光秀(寺田農)は家臣・明智秀満(大林丈史)らに兵を挙げると決め、信長は本能寺に入り、家康一行は京から堺に入り納屋蕉庵(石坂浩二)の娘・木の実(紺野美沙子)が迎え、松井友閑(渥美国泰)宅に行き蕉庵と茶屋四郎次郎(中山仁)に会い「京から光秀の配下が尾行していた」「不穏の動きがある」と聞き、本多忠勝(高岡健二)を京に向かわせた。
信長は濃姫(藤真利子)と森蘭丸(土家歩)と、息子・織田信忠(森篤夫)と織田源三郎(伊藤秀和)を迎え過ごし、深夜に信長は光秀の謀反を知るが1万の手勢に囲まれて、配下は全滅して、屋敷に火を放ち自害した。
家康は虫の知らせで石川数正(江原真二郎)と酒井忠次(福田豊土)を呼び堺出発を命じ、服部半蔵(樋浦勉)と忠勝が四郎次郎を連れ「光秀の謀反で、信長が死んだ」「光秀勢が京を封鎖した」と聞いた。
蕉庵は信長が死んだと知り、家康は家臣らに京に向かうと告げ出発し、備中で羽柴秀吉(武田鉄矢)は信長の死を知り嘆き黒田官兵衛(入川保則)と堀秀政(遠藤征慈)に毛利の講和を命じ備中から姫路を目指した。
家康一行は京を目指し落ち延び、家康は四郎次郎と蕉庵の配下・金蔵(倉田保昭)から道案内すると聞き家臣らに本心は「三河に戻り光秀討伐勢を上げる」と告げ、金蔵は伊賀越えを告げた。


演出:大原誠

第25回:6月26日:伊賀越え

徳川家康(滝田栄)一行は土豪や野伏せりがつきまとい、夜を尽くして2日目に空腹だが強行軍で進み、茶屋四郎次郎(中山仁)と金蔵(倉田保昭)が身分を偽り野伏せりを説き伏せ、3日目に歩き続け山城を出て田原に向かい、一揆勢と出会った。
家康は首謀者に会い、褒美を出すと説き「乱世にならない」と黄金と賞状を渡した、山口光俊の館に辿りつき飯にありつき、伊賀衆が追っていると知り出発した。
家康一行は一揆の百姓・大石村孫四郎(小島三児)から伊賀衆が二つに割れて明智に荷担と反対派に別れたと聞き、道を変えて案内されて進み、四郎次郎と金蔵と別れて白子浜に着くが榊原康政(内田勝正)から領主の命令が出て家が閉ざされていると聞いた。
家康は伊勢白子浜の漁師・孫三(三谷昇)に船を頼み領主に斬られると断られ、他を探すと告げて身分を明かすと孫三は船を出した。
納屋蕉庵(石坂浩二)と四郎次郎は家康が「無事に戻った」「堺の次の天下人予想に羽柴秀吉(武田鉄矢)が人気が多い」と告げ、秀吉は姫路で家臣に金銀を分けて京を目指し、秀吉は山崎で明智光秀(寺田農)に勝ち、光秀は逃走中に死んだ。
家康は熱田で陣を構え四郎次郎から報告を聞き「織田信雄が安土城を焼いた」と聞き、翌日に家康は秀吉の使者を受けて陣を引いた。
秀吉は岐阜で信長の孫・三法師に会い気に入られ、家康は浜松でお愛(竹下景子)らと過ごし本多忠勝(高岡健二)に力を蓄えて秀吉らの様子を見ると告げた。


演出:

第26回:7月3日:次に吹く風

徳川家康(滝田栄)はお愛(竹下景子)と子・長松丸と国松丸と過ごし甲斐・信濃と織田の跡目争いに注目した。
清洲城で織田信雄(立川三貴)か柴田勝家(大山克巳)の押す織田信孝(本郷耕二)かで紛糾し、丹羽長秀(竜崎勝)と池田勝入(和崎俊哉)と相談するが、羽柴秀吉(武田鉄矢)は仮病で遅らせ長男の嫡子・三法師を押し補佐役になると告げた。
家康は甲府に入り甲斐を治め、家康は本多作左衛門(長門裕之)と石川数正(江原真二郎)と織田の内紛を話し北条との和睦を目指し、秀吉は山崎で黒田官兵衛(入川保則)から家康の成功の理由は堪忍と聞き、京で信長の葬儀を行い、堺で納屋蕉庵(石坂浩二)と茶屋四郎次郎(中山仁)は葬儀の成功を話した。
秀吉は前田利家(瑳川哲朗)から勝家の不審を聞き天下取りの決心を明かし、家康はお浅(武原英子)の家で四郎次郎から報告を受けお浅を側室にした、公卿・近衛前久(佐竹明夫)と話し動向を聞いた。
翌年春に秀吉は勝家を攻め勝家とお市(眞野あずさ)が自害した、作左衛門は数正に秀吉への使者の難しさを告げ数正を悪者にして家中をまとめると頼み、作左衛門は家康に内応者が出ると告げ使者に数正を薦めた。


演出:加藤郁雄

第27回:7月10日:小牧長久手の戦

徳川家康(滝田栄)と本多作左衛門(長門裕之)は織田信雄(立川三貴)の家老・津川義冬から「羽柴秀吉(武田鉄矢)の命で岐阜の織田信孝(本郷耕二)を攻め、開城後に切腹を命じられた」と聞いた。
石川数正(江原真二郎)は使者として秀吉に会い、家康の口上を述べ名品だと茶入れを送り、大坂築城の費用分担を述べられ、家康の志しは秀吉と同じだと告げ、数正は秀吉への内通者と言われる事を覚悟した。
秀吉は信雄の家老3名を疑わせ、信雄は家老を切り家康に助けを求めた、家康は作左衛門と数正から秀吉との一戦が避けられないと聞き天正12年3月に出陣し、秀吉は池田勝入(和崎俊哉)に犬山城を攻めさせた。
堺で納屋蕉庵(石坂浩二)は今井宗久(川部修詩)と木の実(紺野美沙子)と茶屋四郎次郎(中山仁)らと家康と秀吉の馴れ合いの噂と告げ、小牧で家康は榊原康政(内田勝正)と本多平八郎(高岡健二)に秀吉逆賊の噂を拡げさせた。
秀吉は石田三成(鹿賀丈史)と黒田官兵衛(入川保則)らに砦と長期戦を準備させ、家康は数正に潮時と告げ、勝入が岡崎攻めを進言し三好秀次(氏家修)と堀秀政(遠藤征慈)に夜に奇襲させ、家康は秘かに自ら出陣し小牧長久手の戦が起きた。
秀吉は出陣したが長久手の戦は終わり、家康は小幡城に入り平八郎から秀吉軍の様子を聞き小牧に戻った、秀吉は翌朝に気づき引き返し、その後に互いに本国に戻った。
家康の家臣らは講和条件に不満で数正殺害を狙い、家康と作左衛門に数正は養子縁組案を示し家康は堺への働きかけを命じた、蕉庵らは秀吉に海外策を求め、秀吉は養子を送れと求め家康は受け入れたが会いには行かなかった。


演出:松本守正

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