独眼竜政宗3
- スタッフ
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脚本:ジェームス三木
原作:山岡荘八『伊達政宗』
- 第19回:1987年5月10日:大移動
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天正16年秋に漸く平穏になり、米沢で竺丸(岡本健一)の元服式が行われ伊達小次郎となり、家臣は嫁探しを告げ、愛姫(桜田淳子)は喜多(竹下景子)に田村の母への見舞いを相談し無理と言われた。
原田左馬助(鷲生功)は後藤孫兵衛(佐野史郎)と檜原峠の砦の事で口論し、伊達政宗(渡辺謙)は猫御前(秋吉久美子)から重臣の他の側室探しを問われ、天正17年正月に政宗は伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)に関白秀吉への対応を相談し秀吉と北条の戦の前に芦名討伐したいと告げた。
政宗は落馬で骨折し、成実は郡山で大内定綱(寺田農)と会い芦名攻めを遅らせないで欲しいと告げられ、3月に政宗は小野川温泉に湯治に行き、4月に政宗は仙道筋に出陣したが足の傷に苦しみ蔦(音無美紀子)に大森城で看病された、愛姫と喜多は猫御前から新しい側室の噂を止めろと言われ呆れた。
政宗は足が癒え出陣し成果を上げ、猪苗代家当主・猪苗代盛国(早川雄三)が子・亀丸(山口祥行)を人質に差し出し、成実と小十郎を猪苗代湖の北に出陣させ、政宗は鬼庭綱元(村田雄浩)らと相馬に出陣し始めて海を見た。
6月に政宗は南の須賀川に向かい、成実と小十郎軍は芦名軍を呼び寄せる為に捨て石となり北の猪苗代に向かい、政宗は途中で突如引き返し、家臣らは意見が別れ、定綱は仙道筋は10日持ち西を通る芦名攻めを求め、政宗は成実と小十郎に使いを出し綱元に指示し、左馬助を檜原に送った。
綱元は途中で使者を待ち政宗の命を告げ、使者は政宗に小十郎らが出馬を求めていると告げた、政宗は本隊を連れ北へ向かった。
演出:西村与志木
- 第20回:1987年5月17日:決戦、摺上原
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摺上原を伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)が下見し決戦場と考え、お東の方(岩下志麻)は伊達小次郎(岡本健一)と愛姫(桜田淳子)と小原縫殿助(岡本富士太)らに芦名との合戦を伝えた。
猪苗代盛国(早川雄三)は成実と小十郎と芦名は総掛かりと告げ、伊達政宗(渡辺謙)の本隊が到着し、芦名義広(堤真一)は盛国の叛乱を知り討伐に戻り、愛姫と喜多(竹下景子)と香で占い、お東の方が勝利を祈った。
翌朝に政宗は摺上原に軍勢を配し、猪苗代盛国、片倉小十郎、伊達成実、白石宗実(門田俊一)、旗本、浜田、大内定綱(寺田農)、片平で闘いが始まり、最初は風上の芦名優勢だったが2陣3陣が内紛で様子見で動かず、風が変わり政宗本隊が打ち込み、形勢が逆転し、4時間の合戦は伊達が圧勝した。
芦名義広は黒川城を捨て佐竹に逃げ滅亡し、6月に政宗は会津黒川城に入城し、本拠を米沢から移し、最上義光(原田芳雄)は芦名の滅亡を聞き豊臣秀吉に咎められると告げ、政宗は秀吉の使いから批判され、上洛を求められたが書状で返答し、秀吉軍は50万と言われ、秀吉に子が出来たと聞いた。
政宗は南会津を攻め続けた、お東の方と小次郎は義光から秀吉の怒りを告げられ奥州全体が攻められると言われた、米沢から黒川に移り、10月に政宗は須賀川を攻め落とし、領土を拡げた、天正18年1月に黒川城で年賀会を開き、使者から秀吉が北条討伐を決め大名に出陣命令したと聞いた。
演出:吉村芳之
- 第21回:1987年5月24日:修羅の母
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天正18年初冬豊臣秀吉は北条討伐の兵を挙げ伊達政宗(渡辺謙)にも参陣を求めた、お東の方(岩下志麻)は黒川城西館に住み老臣らと関白の意向と政宗の対応を討議し老臣らは政宗が意見を聞かないと告げた。
政宗と伊達小次郎(岡本健一)と小原縫殿助(岡本富士太)はお東の方から関白と争うなと言われ伊達の誇りを掛けて対応すると答え、老臣らはお東の方に政宗の側近の若者を遠ざけるべきと告げ、政宗を幽閉して廃嫡し小次郎を藩主にすると告げた。
お東の方は伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)を問い詰めたが断られ、政宗はお東の方に口出しは家中を乱すと告げた。
お東の方は山家国頼(大和田伸也)に家中の叛乱の動きを告げ荷担を求めた、国頼の通報で小次郎派の幹部が捕らえられ、お東の方は陰謀発覚を知り山形城へ向かい、政宗は愛姫(桜田淳子)に天下を狙うには20年生まれるのが遅かったと告げた。
お東の方は最上義光(原田芳雄)に会い小田原参陣を求めたが政宗は手遅れと言われ、政宗を殺せと言われた、政宗は軍議で関白の小田原攻めが始まり参陣する大名が増えていると聞き意見が割れ、政宗は参陣しないと告げ、小十郎は関白が既に国をまとめており朝廷に逆らうべきでないと小田原参陣を求めた。
義光はお東の方に自ら政宗を毒殺せよと求めた、小十郎は切腹を考え蔦(音無美紀子)に止められ、政宗が布施定時(萩原流行)と隠密に訪れ小十郎に改めて問い小田原を決めた。
黒川城に戻ったお東の方は絶望し誰にも会わず政宗が小十郎ら100騎と小田原参陣を決めたと聞き、政宗は国分盛重(イッセー尾形)から「お東の方が政宗が出家し小十郎に当主を譲れと言った」と聞き小十郎に荷担を問い否定され、お東の方は乱心した。
演出:吉村芳之
- 第22回:1987年5月31日:弟を斬る
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天正18年(1590)4月5日に伊達政宗(渡辺謙)は伊達成実(三浦友和)と片倉小十郎(西郷輝彦)と鬼庭綱元(村田雄浩)と原田左馬助(鷲生功)に明日の出発し、小田原で死んだ場合は成実を跡目にすると告げ、小十郎は家中に謀反の動きがあると注意を求めた。
お東の方(岩下志麻)は跡目が伊達小次郎(岡本健一)で無いと知り、粟野藤八郎(潮哲也)と小原縫殿助(岡本富士太)は小十郎を立てての謀反を求め、お東の方は政宗に殺されれば小十郎との謀反を認めた。
お東の方は侍女・御佐子(鷲尾真知子)に政宗の椀に毒を入れろと命じ、夜に政宗はお東の方を訪ねて話し、綱元と遠藤文七郎(中村繁之)は御佐子に毒見を告げたが断られ、政宗はお東の方に小次郎の側近の不穏な動きに応じ無き様に求めた、政宗は毒の入った椀を食べて気づき綱元らを呼び、お東の方に数珠を投げつけ去った。
喜多(竹下景子)と愛姫(桜田淳子)は政宗に駆けつけ、医師はほとんど吐き出し命には関わらないと告げ、政宗は母は殺さず同じ苦しみを味あわせたいと告げ、綱元は逆心組の柱の弟を討てと告げた、政宗は決心した。
政宗は縫殿助の屋敷にいた小次郎に毒を持った者を成敗すると告げ、お家騒動の禍根を断つと告げ切腹を求め斬った、綱元と小十郎は縫殿助に国を去り小次郎と弔えと告げた、小十郎はお東の方に伊達領からの立ち退きを求め政宗が小次郎を成敗したと告げた。
お東の方は山形で最上義光(原田芳雄)に会うが乱心していた。
演出:樋口昌弘
- 第23回:1987年6月7日:小田原へ
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天正18年4月22日に片倉小十郎(西郷輝彦)は蔦(音無美紀子)に、最初の参陣の動きで近隣諸国の動きを偵察したと告げ、5月5日に伊達政宗(渡辺謙)は小十郎と伊達成実(三浦友和)と鬼庭綱元(村田雄浩)と原田左馬助(鷲生功)と鈴木重信(平田満)と軍議し、小田原へは合図討伐の証人として大内定綱(寺田農)らを連れると告げた。
喜多(竹下景子)は猫御前(秋吉久美子)から懐妊を聞くが親元に送り返し、成実と小十郎と蔦が別れを語った。
政宗一行100騎は出発し、小十郎と定綱らと各地で足止めを受け、相馬の進軍を聞き米沢城に戻り留守政景(長塚京三)と最上と相馬の動きを牽制し、飯坂宗康(東八郎)から猫御前の流産を聞いた。
政宗一行は山形から越後に入り、迂回して信濃から小田原に向かい、6月5日に到着し底倉に宿を取らされ、6月7日に秀吉の使者として前田利家(大木実)と浅野長政(林与一)ら5人が来て参陣の遅れと上洛しての挨拶なしを問い、政宗は会津討伐の訳を告げ近隣諸国は戦を仕掛けられたと告げ、会津は引き渡すと答えた。
政宗らは結城秀康(新田純一)の案内で徳川家康(津川雅彦)に会い迂回路の指示を感謝し、関白への対応は抑えて奇抜な趣向が必要と聞き、家康は戦に飽き討伐以外の手立てを考えた。
6月9日に政宗は関白の本陣から呼ばれ白装束で行き、家康が案内して普請場で豊臣秀吉(勝新太郎)に会った。
演出:樋口昌弘
- 第24回:1987年6月14日:天下人
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伊達政宗(渡辺謙)は豊臣秀吉(勝新太郎)に会い、城が落ちる前で運が良いと言われ、陣立てが見たいと告げ、秀吉に案内され陣を見せられ、刀を預けられた、片倉小十郎(西郷輝彦)は大内定綱(寺田農)らに首尾が上場と告げ、政宗は貫禄負けと告げた。
翌日に陣所で政宗は秀吉の旗本衆にあい石田三成(奥田瑛二)と蒲生氏郷(寺泉憲)らと会い、献上品の砂金を見せた、羽柴秀次(陣内孝則)が政宗と小十郎を秀吉に茶室に連れ、政宗は会津を取りあげそれ以外は差し置くと聞いた。
喜多(竹下景子)と愛姫(桜田淳子)は伊達成実(三浦友和)から政宗からの書状の内容を聞いた、最上義光(原田芳雄)は小田原に到着し秀吉に会い遅いと責められ徳川家康(津川雅彦)が伊達を見張らせたと告げた。
数日後に義光は政宗の宿を訪れお東の方の事で言い合い、政宗は家康から会津引き渡しの準備を命じられた、政宗は黒川城に戻り家臣らに会津と奪った地は返すと伝え、米沢に戻りやり直すと告げた。
小田原城は降伏し秀吉は北条の処置を指示し、三成は淀君(樋口可南子)に秀吉は奥州に行くと告げた。
政宗は米沢に引き上げて家臣に奥州の平定に加わると告げ、猫御前(秋吉久美子)が城に戻り、政宗は奥州征伐の秀吉を宇都宮で迎え甲冑を贈られ、氏郷が会津に入り、秀吉は小十郎に三春を与えると告げたが、小十郎は伊達家に尽くすと断った。
政宗は小十郎にうれしかったと告げた。
演出:吉村芳之
- 第25回:1987年6月21日:人質、めご
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黒川城で伊達政宗(渡辺謙)は豊臣秀吉(勝新太郎)と石田三成(奥田瑛二)と浅野長政(林与一)に、鈴木重信(平田満)と片倉小十郎(西郷輝彦)から書類を引き渡し、蒲生氏郷(寺泉憲)が芦名領を確認し、秀吉は検地を命じた。
米沢で政宗と愛姫(桜田淳子)は検地での騒ぎを心配し、秀吉は愛姫を人質に求めたと告げた、8月に秀吉勢は政宗の案内で大崎領から葛西領に侵入し木村吉清(牟田悌三)が領主となった、政宗は長政と氏郷から人質を急げと言われた。
愛姫は喜多(竹下景子)の上洛を相談し、9月に伊達成実(三浦友和)は三成の書状を政宗に渡し人質を求めると告げ、秀吉は領地没収で圧力を掛けた、愛姫は政宗に上洛して役に立ちたいと決断を求め、9月に政宗は愛姫の上洛を決め喜多を同行させ、喜多は猫御前(秋吉久美子)を避けて欲しいと求めた。
奥州で秀吉検地に反対し農民一揆が起き、重信が政宗らに木村吉清の無能を歎き、政宗と小十郎と成実は対応を考えた、大崎・葛西の一揆が拡がり、秀吉は氏郷と政宗に一揆の征伐を命じ、11月に政宗は一揆討伐に行き、氏郷の出陣したが雪に阻まれ遅れた、二本松で長政と氏郷は政宗から書状を受け、氏郷は疑い急いだ。
京で愛姫と喜多は聚楽第に入り、ねね(八千草薫)に招かれ秀吉から「氏郷と政宗との腕比べ」と聞いた。 氏郷はと政宗に会い、家臣らが対立した。
演出:吉村芳之
- 第26回:1987年6月28日:絶体絶命
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蒲生氏郷(寺泉憲)は伊達の密書を入手し機略を疑い、伊達政宗(渡辺謙)と伊達成実(三浦友和)と原田左馬助(鷲生功)は氏郷の行動が約束と違うと知り一揆の城を攻め落とした、一揆勢は捕虜の木村親子を解放した。
氏郷は木村親子と会い行動を責め伊達への疑いを告げた、政宗は浅野長政からの書状で密書が氏郷に渡ったと知った、京で愛姫(桜田淳子)と喜多(竹下景子)は豊臣秀吉(勝新太郎)と石田三成(奥田瑛二)から政宗が謀反して偽者と疑われた。
秀吉は愛姫を間近で見て、偽と思う三成に本物と告げ、氏郷が政宗に押されていると考えた、長政は氏郷と木村親子を会津に引けと求め、政宗らは氏郷から道中の人質を求められ国分盛重(イッセー尾形)に命じたが断られた。
京・伊達屋敷で愛姫と喜多は政宗の本心を話し、向館内匠(山形勲)が訪ね来て「愛姫が偽の噂」あると告げた。
政宗は秀吉から上洛を命じられ、成実を氏郷に向かわせ、政宗と片倉小十郎(西郷輝彦)と留守政景(長塚京三)は二本松で浅野長政(林与一)に会い謀反は濡れ衣と告げ、秀吉の側近は氏郷びいきで密書の申し開きで定まると言われた。
政宗は天正19年春に京へ向かった。
演出:西村与志木
- 第27回:1987年7月5日:黄金の十字架
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天正19年春に伊達政宗(渡辺謙)は上洛に向かい、何故か豊臣秀吉(勝新太郎)は清洲城で待った。
政宗と片倉小十郎(西郷輝彦)は徳川家康(津川雅彦)から神妙にと言われ、秀吉と羽柴秀次(陣内孝則)が来て詮議し、石田三成(奥田瑛二)が謀反を問い詰め、政宗は潔白と主張した。
政宗は密書は似ているが偽物と告げ、蒲生氏郷(寺泉憲)に濡れ衣だと告げ、氏郷は政宗の起請文を提出し本物と告げ、小十郎は祐筆が書いた偽筆と告げ、政宗は花押に細工していて鶺鴒の目に穴があれば本物だと告げた。
秀吉は調べて花押が違うと知り、疑いは晴れたと告げた、武将は用心深くて当然で氏郷を恨むなと告げ、そのまま上洛しろと求めた、政宗はなおも疑う氏郷に片方の目は偽物だと告げ、家康は奉行らに秀吉は細工を知りながら政宗の命を助けたと告げた。
政宗は京に向かい途中で小十郎と留守政景(長塚京三)と原田左馬助(鷲生功)と秀吉が求めた趣向を考え、京・三条大橋を政宗は黄金の十字架を肩にして入った、秀吉らが政宗から意図を聞き、秀吉が政宗と小十郎を千利休(池部良)の茶室に招き、政宗は利休から名器の椀は秀吉に取りあげられたと聞いた。
京・伊達屋敷で愛姫(桜田淳子)は政宗を迎え、喜多(竹下景子)は小十郎と再会した。
演出:西村与志木