徳川家康5

スタッフ

原作:山岡荘八『徳川家康』
脚本:小山内美江子』

第37回:9月18日:窮鳥猛鳥

徳川家康(滝田栄)は福島正則(綿引勝彦)と浅野幸長(森田順平)と細川忠興らと会い、家康は藤堂高虎(前田昌明)から騒ぎは石田三成(鹿賀丈史)からだと諸侯が気づいたと聞き、家康一行は帰途に襲われたが加藤清正(伊吹吾朗)らに助けられた。
三成はお袖(神崎愛)に孤立の悩みを告げ正体を知り、三成は前田利家(瑳川哲朗)から争わぬと説得され、北政所(吉行和子)は清正から利家と家康が伏見で会うが不穏の動きがあり立ち合いたいと頼まれ、家康の返礼を頼んだ。
家康は榊原康政(内田勝正)と井伊直政(平泉成)に騒ぎを起こすなと命じ、家康は病の利家を伏見に迎えて医師と清正らを同席してもてなしてわだかまりを解いた、家康は葬儀後に大坂に答礼すると告げた。
三成は一戦する覚悟を決め、豊臣秀吉の葬儀が行われた、大坂で三成と小西行長(纓片達雄)と宇喜多秀家(浜田光夫)と毛利輝元(御木本伸介)と前田玄以(福山象三)と長束正家(石濱朗)らは家康襲撃を密談し、家康は利家と会った。
利家が死に、三成は登城せず、清正ら7人が三成を討ちに行き、三成は逃げて家康の屋敷に行き本多正信(内藤武敏)から対応を問われ、家康は三成に会い7人衆の乱暴は許さぬが不注意の三成は佐和山の領地への引き上げすべきと求めた。


演出:高橋幸作

第38回:9月25日:機は熟す

徳川家康(滝田栄)は伏見城に入り、本阿弥光悦(大出俊)は家康に不穏な噂を告げ、家康へ大坂行き長束正家(石濱朗)と増田長盛(堀勝之祐)が迎え陰謀の噂を告げた。
家康は本多正信(内藤武敏)と本多平八郎(高岡健二)と井伊直政(平泉成)ら大勢と登城し淀君(夏目雅子)と豊臣秀頼(谷川喜祥)と会い、浅野長政(金内吉男)に長束らの話しを問い、城内は不安で城内で政務を行うと告げた。
北政所(吉行和子)は長政から家康を立たせたと聞き城を出ると決めた、石田三成(鹿賀丈史)は島左近(川津祐介)と北政所の思案を話し戦うと決めお袖(神崎愛)を北政所に送り探らせ、前田利長(伊藤高)と前田利政(佐久田修)は人質を家康から求められ阿松(稲野和子)は秀吉が送った前例があると告げた。
家康は上杉景勝(横井徹)の動向を探る為に上洛を求め、直江兼続(睦五朗)は景勝に断っても征伐に来ないと告げ、家康は諸大名に上杉征伐を告げ、光悦は北政所宅でお袖と会い三成に命を聞いた。
家康は上杉征伐を準備し慶長5年6月に大坂で軍議を開き、家康は伏見に向かい福島正則(綿引勝彦)と加藤清正(伊吹吾朗)らは江戸に向かい大坂は空になり、家康は伏見城代・鳥居元忠(川久保潔)と語らい、三成は大谷吉継(有川博)を仲間に誘い毛利輝元(御木本伸介)を味方に引き入れた。
家康は江戸で輝元の大坂入城を知り、家康は徳川秀忠(勝野洋)と結城秀康(堀秀行)と家臣らに使命感で困難に向かうと告げ、家康は天海(竜雷太)と会い、家康は会津に向かった。


演出:加藤郁雄

第39回:10月2日:関ヶ原前夜

慶長5年7月に徳川家康(滝田栄)は西に向かい、大坂城で安国寺恵瓊(滝田裕介)と毛利輝元(御木本伸介)は石田三成(鹿賀丈史)と家康檄文を作り、三成は淀君(夏目雅子)と豊臣秀頼(斎藤大)に見せた。
三成は伏見城明け渡しを断られ西軍が囲み攻撃し、小山で家康は情報を聞き本多平八郎(高岡健二)と榊原康政(内田勝正)と井伊直政(平泉成)らに毛利は割れていると知り、不利な事は東軍諸侯に知らせ有利な事は隠し本心が知りたいと告げた、5日目に伏見城は陥落し全滅した。
家康は諸侯を集めて「三成の逆心だが、人質を取られ戻っても良い」と告げ、藤堂高虎(前田昌明)と福島正則(綿引勝彦)と細川忠興(岩下浩)と山内一豊(小野泰次郎)らは家康に従い、家康は西に向かう事を図り決定し、家康は次男・結城秀康(堀秀行)に上杉への対応を命じ、軍は西に向かった。
三成は人質戦略は失敗し、北政所(吉行和子)はお袖(神崎愛)に東軍が西に向かったと告げ、江戸で家康は動かず、清洲城に到着した正則から連絡が来たが動かず、家康は徳川秀忠(勝野洋)と松平忠吉(冨家規政)らに私情の有無を考え、村越茂助を使者に送った。
茂助は清洲城で福島らに口上を告げ、正則らは自分らで判断して戦うと決めた、家康は秀忠と本多正信(内藤武敏)に中山道を進軍させ自ら東海道を西に進み、三成は東に進むが輝元は大坂から動かず、東軍が岐阜城を落とした。
三成は島左近(川津祐介)に先頭に立つと告げ、家康は清洲で報告を受け秀忠到着前に戦を行い徳川の主力を残すと告げ、大垣に到着し、三成は急ぎ軍議を開き小早川秀秋(堀内正美)や恵瓊や長束正家(石濱朗)は参加せず島津義弘(田崎潤)は夜襲を求めたが左近は反対した。
慶長5年9月15日に西軍は東軍を囲み、東軍は西軍の正面を突破して西を目指した。


演出:大原誠

第40回:10月9日:関ヶ原

慶長5年(1600)9月15日関ヶ原で徳川家康(滝田栄)はを前に進め、石田三成(鹿賀丈史)は笹尾山に本陣を引き、松平忠吉(冨家規政)と井伊直政(平泉成)が先陣を切り福島正則(綿引勝彦)らが進撃し、双方が南宮山の毛利と松尾山の小早川秀秋(堀内正美)の動きを見守った。
福島勢と宇喜多秀家(浜田光夫)勢が闘い、三成は島左近(川津祐介)と迎え討ち黒田長政が側面から襲い、小西行長(纓片達雄)と島津義弘(田崎潤)が動かず、松尾山の秀秋は双方から監視され催促され、家康は本多正純(本田博太郎)に安国寺恵瓊(滝田裕介)への攻撃を命じた。
毛利秀元(越村公一)と吉川広家(相原巨典)は恵瓊を抑え、家康は秀秋に鉄砲を撃たせ、秀秋は大谷吉継(有川博)を攻め寝返りが続出した、秀秋らは行長と秀家を攻め、三成勢が敗走し、島津勢は中央突破し戦線離脱した。
夜に家康は広家と会い秀秋を迎え、三成は山中を逃げ、翌日小早川が佐和山を攻め落とし、北政所(吉行和子)はお袖(神崎愛)に祈らせ、3日後に三成は捕らえられ、大野修理(谷隼人)は大坂城で淀君(夏目雅子)と豊臣秀頼(斎藤大)に家康からの口上を伝え、秀元と広家は毛利輝元(御木本伸介)に和議を求めた。
家康は三成の身柄を鳥居久五郎(中島久之)に預け、家康は大坂城に入り輝元を処分し領地を減らし、三成らが処刑されお袖も自害し、納屋蕉庵(石坂浩二)と茶屋四郎次郎(中山仁)と本阿弥光悦(大出俊)がおみつ(萬田久子)と政治を話し、家康は徳川秀忠(勝野洋)に江戸に幕府を作ると告げた。


演出:大原誠

第41回:10月16日:将軍家康

大坂城で徳川家康(滝田栄)は論功行賞の配置換えを行った、淀君(夏目雅子)と豊臣秀頼(若松誠)は大名になるが大坂城を居城とし片桐且元(久米明)を呼び黄金を問い、京で家康は北政所(吉行和子)に黄金の寺社への使用を求め、北政所は寺に隠居したいと望み、北政所は本阿弥光悦(大出俊)に淀君への助言を頼んあだ。
慶長8年に伏見で家康は征夷大将軍になり側近に大久保長安(津川雅彦)を加え、納屋蕉庵(石坂浩二)は茶屋又四郎(福田勝洋)とおみつ(萬田久子)から将軍家康を聞き国外の勢力争いの懸念を告げ死に、大仏殿が焼け落ちた。
千姫(吉村奈見子)の輿入れ準備を且元とお江与(白都真理)と長安と栄の局(おみつ)が行い、長安は且元に黄金を交易に使う持論を告げ、家康は本多正純(本田博太郎)に千姫の気遣いを告げ、千姫と秀頼の婚礼が行われ、後に長安は秀吉の黄金を見せられ多さに驚き栄の局に秀頼には千姫の身代わりが必要と告げ、栄の局は秀頼から好きで側に置きたいと言われ手籠めにされた。
家康は江戸で幕府の準備し、且元は淀君に「家康は来年に隠居し、秀頼は年が若く徳川秀忠(勝野洋)が継ぐが子はいない」と告げた、翌年に秀忠に男子が生まれ家康は竹千代と名付けた。


演出:加藤郁雄

第42回:10月23日:世界の風

伏見城で徳川家康(滝田栄)は本多正純(本田博太郎)に他の子の母に夢を持たせないと告げ、大久保長安(津川雅彦)と本阿弥光悦(大出俊)から栄の局(萬田久子)が懐妊して暇を出されたと聞き、大坂城で淀君(夏目雅子)は使者・長安に栄の局を側室に望んだ。
長安と栄の局と光悦は茶屋又四郎(福田勝洋)に会い、長安は光悦の妹・於こう(加賀まりこ)に秀吉の7回忌と黄金の夢を話した、江戸は大きくなり長安は三浦安針とカルロスと金髪美女に会い互いに敵意を感じ、家康からイスパニアと新興・オランダの勢力争いをがあり双方と等しく付き合うと聞いた。
伊達政宗(尾上辰之助)は江戸屋敷で長安と世界との交易計画を話し、家康は天海(竜雷太)に将軍辞任と徳川秀忠(勝野洋)将軍宣下と豊臣秀頼(若松誠)との会見を話し、淀君は片桐且元(久米明)と大野修理(谷隼人)から家康の意向を聞くが、秀頼は反発した。
家康と秀忠は上洛し、家康は北政所(吉行和子)に秀頼の上洛を頼み、淀君は断固反対して、家康は北政所から病で出来ないと聞き、松平忠輝(田中健)を将軍名代で見舞いに大坂に行かせた。


演出:松本守正

第43回:10月30日:連判状の夢

慶長10年(1965)6月に将軍になった徳川秀忠(勝野洋)は京を立ち、伏見城で徳川家康(滝田栄)は本阿弥光悦(大出俊)と大久保長安(津川雅彦)と本多正純(本田博太郎)は松平忠輝(田中健)から禄高と城作りを言われ咎め、家康はイギリスの三浦安針から講義を受け、大坂で大野修理(谷隼人)はイスパニア派からカルロスと忠輝の繋いで反旗を計画した。
栄の局(萬田久子)は反旗の計画を聞き光悦に知らせ、於こう(加賀まりこ)に長安への間者を頼み、長安は切支丹の勢力争いに巻き込まれると告げられたが夢を膨らませ、忠輝と伊達政宗(尾上辰之助)の娘・五郎八姫(岡本舞)が婚礼した。
大阪城で修理と片桐且元(久米明)は駿府城普請の賦役拒否を話し、淀君(夏目雅子)は且元に任せ、千姫(石原真理子)は栄の局の娘を育てたいと考え、家康は忠輝と五郎八姫と長安に会い、長安は三浦安針に世界で金を探したいと告げ連判状への血判を求めた。
長安はカルロスに拒否され脅し、政宗に連判状を見せたが「遊びで謀反を疑われ、家康が金の横領を疑う」と拒まれ、長安は於こうに夢を諦め封じると告げ、慶長14年に家康は駿府城で韓国と明とオランダと国交を結び、カルロスは政宗に大坂を動かすと告げ退けられた。
政宗は家康からオランダとイスパニアの等しい扱いを聞き、家康は正純と大坂への対応を話し豊臣秀頼(利重剛)の大和移転を考え、秀頼に会いに行きたいと告げた。


演出:大原誠

第44回:11月6日:騒動の根

慶長16年に徳川家康(滝田栄)は板倉勝重(山本亘)と相談し、常高院(三浦真弓)と松の丸殿(奈良富士子)は淀君(夏目雅子)に会い豊臣秀頼(利重剛)と家康との面会を求めた。
淀君は片桐且元(久米明)と話し、家康は浅野幸長(森田順平)と高台院(吉行和子)と秀頼との対面を相談し、二条城で家康は秀頼と会い加藤清正(伊吹吾朗)と且元と高台院が出席した、淀君は高台院の立ち合いが不満を持ち、清正は豊臣は内部に不安があると告げ隠居した。
於こう(加賀まりこ)は本阿弥光悦(大出俊)に最後の文を書き大久保長安(津川雅彦)の金横領と連判状の不安を告げた、於こうを殺した長安は狂い死に、松平忠輝(田中健)と五郎八姫(岡本舞)は連判状の不安を聞き、伊達政宗(尾上辰之助)はカルロスに領地に戻ると告げた。
家康は本多正純(本田博太郎)から連判状を聞き柳生宗矩(夏木陽介)に調べを命じ、宗矩は不正の証拠を見て江戸で徳川秀忠(勝野洋)に会い意向を聞き、家康は秀忠が既に連判状を見たと聞いた。
家康は多数の旧教切支丹が大坂城に集まると知り、宗矩から「宗派の対立に関わらず、忠輝の対応は政宗を引き込み、威嚇の城・大阪から秀頼を移せ」と聞き、家康は江戸に向かった。


演出:加藤郁雄

第45回:11月13日:巨城の呼び声

江戸城で徳川家康(滝田栄)は苦慮し、松平忠輝(田中健)と五郎八姫(岡本舞)は大船の夢を話し、忠輝は家康と柳生宗矩(夏木陽介)に海外進出と大坂城を望み怒られ、その夜に家康と徳川秀忠(勝野洋)は本多正信(内藤武敏)と本多正純(本田博太郎)らと秘密評定を行い、家康が忠輝や豊臣秀頼(利重剛)の教育を任せて誤ったと告げた。
家康は秀頼の説く事を考え秀忠に秀頼への1万石の加増を求め、片桐且元(久米明)を駿府に呼び秀頼の大和郡山城の移転を求め、方広寺の落成時に軍勢を集めると考えた、家康は切支丹大名・高山右近を対策し、忠輝へ城移転を命じたが忠輝は秀忠に反発した。
家康は真田幸村(若林豪)の使者を送るが戦を求められ、且元は秀頼から軍用金を求められ軍議から外され、淀君(夏目雅子)は大野修理(谷隼人)と大野治房(谷岡弘規)から幕府が攻める噂を告げられた。
慶長19年に家康は且元と会い移転が進まぬと聞き方広寺落成以前に必要と怒り、家康は再度且元には会わず落成予定を許可し、家康は宗矩にあえて秀頼に難題を持ちかけて解けぬなら戦になるかも知れないと告げ、淀君と秀頼を助ける手段を考えさせさせ、宗矩は奥原信十郎(井川比佐志)に大坂に入り万一は淀君と秀頼の助けを求めた。
京で方広寺落成に人が集まり、板倉勝重(山本亘)は且元に鐘の銘文の疑問から落成中止を命じ、大坂城で織田有楽斎(山本耕一)は大坂方で家康への呪詛はあり強行意見があると且元に告げ、秀頼は且元の延期裁定を認め再度の交渉を求め、修理と渡辺内蔵助(久富惟晴)らの強硬派は且元の殺害を計画し浪人を集めた。


演出:松本守正

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