徳川家康2

スタッフ

原作:山岡荘八『徳川家康』
脚本:小山内美江子』

第10回:3月13日:三河一向一揆

永禄6年春に築山御殿が作られ瀬名(池上季実子)が住み築山殿と呼ばれ、松平元康(滝田栄)は切腹した関口親永を弔い、元康は本多作左衛門(長門裕之)と石川数正(江原真二郎)と酒井忠次(福田豊土)と久松佐渡(橋本功)らと周囲の対策を練り、一向一揆に注意を述べた。
織田信長(役所広司)は側室らと子らを設け濃姫(藤真利子)と松平と武田との縁組を考え、木下藤吉郎(武田鉄矢)は美濃の斎藤義竜が家臣に毒殺されたと告げた。
築山殿はお万(東てる美)から竹千代(田島和典)と織田の徳姫(北原留美)との縁組を聞き、数正から元康が家康への改名を聞き、家康に不満を告げるが乱世では無理な望みで「信長は今川の様に人質を求めず姫を嫁に出した」と言われたが亀裂を生じ、家康は寝所を探るお万を見つけ側女にすると告げた。
三河一向一揆が起き、酒井雅楽頭(小笠原良知)と数正と作左衛門が「阿弥陀と家康の比較だ」と告げ、随風(竜雷太)は竹之内波太郎(石坂浩二)から家康が一揆を納められぬなら先はないと聞いた。
家康は於大(大竹しのぶ)から「寺院焼き払いは、相手の松平分裂の狙いにはまる」「急がず納めて家臣と深く繋がれ」「許すのが仏の道」と聞き、家康は城を出て一揆に参加する家臣を説得し、首謀者が大久保新八郎(河原さぶ)を通して家康に詫び許された。
作左衛門は数正から家康とお万の仲の相談を受け、家康は作左衛門からお万が築山殿との仲に困り命を狙うと告げられた。


演出:大原誠

第11回:3月20日:興亡の城

徳川家康(滝田栄)は吉田城を落とし、永禄10年(1567)に濃姫(藤真利子)と織田信長(役所広司)は徳姫(長谷川真弓)と小侍従(二木てるみ)に輿入れの心得を話し、信長は鯉を送り家康に飼わせた。
岡崎城で家康と石川数正(江原真二郎)は築山殿(池上季実子)と松平信康(我妻光弘)と家臣らと徳姫を迎え、滝川一益(新田昌玄)が信長からの鯉の口上を聞き、榊原康政(荒木茂)に鯉の世話を命じ、鳥居忠吉(宮口精二)と大久保新八郎(河原さぶ)らの意見で平岩親吉(宗近晴見)を信康の守り役にした。
家康は数正の指示で康政が鯉を食べたと知り怒り、数正は死ぬ鯉を送った戯れ言で迂闊な命は出すなと告げ、家康は以後は迂闊に出さないと告げた。 信長は上洛し、家康は吉良御前(竹下景子)が籠もる城を囲み待ち、本多忠勝(高岡健二)が抜け駆けして囲まれ、井伊万千代(豊原功補)が使いに来て吉良御前の手紙を渡し「心に残るために死を選ぶ」と知り、吉良御前は自害し火を付けた。
家康は浜松城と改名し、信康を岡崎城主とした、築山殿は信康と徳姫に不満を告げ織田への不満を隠さず、家康は浜松城を改築し本多作左衛門(長門裕之)からお愛(竹下景子)を紹介され後家と聞き奥役にし、お万(東てる美)と再会し、作左衛門から子を多く作れと言われた。


演出:兼歳正英

第12回:3月27日:人生の岐路

浜松城の徳川家康(滝田栄)と石川数正(江原真二郎)と本多作左衛門(長門裕之)と酒井忠次(福田豊土)に織田信長(役所広司)の使者・木下秀吉(武田鉄矢)が来て上洛を誘い北陸の朝倉攻めの策を告げた。
元亀元年4月に織田・徳川連合軍は京から朝倉に進軍し、小谷城で信長の妹・お市(眞野あずさ)の嫁ぎ先の浅井長政(柴田侊彦)は父・久政に従おうとし、金ヶ崎の信長は長政から同盟破棄を聞き、信長は決戦を望むが家康は浅井の準備は遅れており直ぐに引き上げを提案し、信長は出直しを決め、家康と秀吉はしんがりを引き受けた。
京で濃姫(藤真利子)は将軍・足利義昭(篠原大作)と細川藤孝(丸山詠二)の話しを盗み聞き岐阜城に戻り家臣に浅井の背後を攻めると見せかけさせ信長は危機を脱した。
家康は浜松城に戻りお愛(竹下景子)が迎えた、岡崎城で瀬名(池上季実子)は寂しさから大賀弥四郎(寺泉哲章)と不倫した、1月後に家康は浅井・朝倉攻めの為に出陣して岡崎に寄り松平信康(宅麻伸)と平岩親吉(宗近晴見)に留守居を命じ「信長の天下統一時にも徳川が家臣にならない為に出陣する」告げた。
家康は信長に本隊との対決を望み徳川の強さを見せると告げ、姉川の合戦で織田・徳川連合軍が勝利し、翌元亀2年(1571)10月に竹之内波太郎(石坂浩二)は金蔵(倉田保昭)から北条康政の死を聞き武田の進軍を予想し織田と徳川に知らせた、
翌年に甲府で武田信玄(佐藤慶)は息子・武田勝頼(藤堂新二)に上洛戦の策を話し、勝頼はあやめ(田中好子)を大賀弥四郎へ侵入させ瀬名へ接近させた、家康は狩に出て信玄の対策を考え本多忠勝(高岡健二)と思案し、作左衛門と数正は信玄を避ける策を考え、家康はお愛と話し作左衛門に信玄を避けないと告げた。
波太郎と随風(竜雷太)は信長は多くの援軍は送れなく、信玄の寿命は短く、天下は治まらないと話した、元亀3年10月に信玄が出陣した。


演出:加藤郁雄

第13回:4月3日:三方ヶ原合戦

元亀3年10月3日に40000で武田信玄(佐藤慶)は甲府を出発し遠江の城を落とし、徳川家康(滝田栄)も出陣し酒井忠次(福田豊土)と石川数正(江原真二郎)は戦を避ける意見を告げ、武田が浜松近くの城を落とすと徳川家中が動揺し篭城を考え始めたが、家康は応じなく、本多作左衛門(長門裕之)と本多忠勝(高岡健二)は意見を告げた。
竹之内波太郎(石坂浩二)は金蔵(倉田保昭)と銀蔵(佐乃貢司)から織田の援軍を聞き、滝川一益(新田昌玄)ら3000の援軍が来たが二股城が落城し、家康は三方ヶ原に鶴翼の陣をひいた。
信玄は山県昌景(井上昭文)と穴山梅雪(生井健夫)と武田勝頼(藤堂新二)と小山田信茂(山田博行)に魚鱗の陣で攻めさせた、合戦が始まり家康は忠次の制止を聞かず討ち出て武田勢に囲まれ、徳川勢は飛散し、浜松城でお愛(竹下景子)は備えるが不吉で、作左衛門と夏目正吉(國井正廣)は家康を城に連れ帰った。
家康を城に戻り、鳥居元忠(草見潤平)らに篝火を焚き門を開けせ、らちもない戦と反省し眠り、武田は守備隊が残ると考え城下から引き上げ、家康は家臣らに負けたが屈しなかったと告げた、信玄は野田城に向かった。
岡崎城で松平信康(宅麻伸)にあやめ(田中好子)が側室で近づき、家康は使者・大賀弥四郎(寺泉哲章)から報告を受け信康の行動を咎めさせ、弥四郎は瀬名(池上季実子)に「家康は武田に勝てない」「勝頼と内応して信康を救え」と告げた。
武田勢は野田城を囲み、勝頼と梅雪は弥四郎と瀬名からの手紙を読み、信玄は野田城を降伏させ夜に城からの笛を聞き、波太郎と金蔵は鉄砲で撃った、参陣していた家康は波太郎から信玄を傷つけたと聞き、織田信長(役所広司)は木下秀吉(武田鉄矢)から信玄の死を聞いた。
信玄の死は3年隠されたが、家康の武田攻めで諸侯は武田の異変を知った。


演出:大原誠

第14回:4月10日:父と子

徳川家康(滝田栄)は駿河を攻め、直ぐに長篠を攻めて探り武田信玄が指揮出来ないと知った、浜松城でお愛(竹下景子)は家康らを迎えた。
岡崎城で徳姫(田中美佐子)は松平信康(宅麻伸)の子を身ごもり小侍従(二木てるみ)に信康とあやめ(田中好子)への不満を告げ、織田信長(役所広司)と濃姫(藤真利子)は側室・あやめが武田の間者で瀬名(池上季実子)の関与の疑いを聞き、信長は別の筋から家康に知らせた。
家康は岡崎城の修理を行い信康に指導したが行き違い、あやめは小侍従から信玄の死を聞き信康と徳姫の仲を望まれ、信康は平岩親吉(宗近晴見)と家康から「父親は厳しいものだ」と言われ、家康はあやめに会い、徳姫と話し「家臣は宝だ」と告げた。
大賀弥四郎(寺泉哲章)は減敬(津村鷹志)から武田勝頼(藤堂新二)の親書の受け渡しで家康と小侍従を注意し、家康は岡崎城の備えを信康に任せ、家康は小侍従から岡崎城を内に狙う者がいると聞き、家康は信康から初陣を頼まれた。
信康は徳姫と小侍従とあやめに会い、小侍従を疑い刀で怪我をさせた、あやめは小侍従に謝り自分は減敬の子で無く減敬は勝頼と瀬名の手紙を告げて味方になりたいと告げ、勝頼と瀬名の密約は成立し、信康はあやめと小侍従の話しを聞き瀬名を詰問したがはかり事だと言われた。
信康は減敬と小侍従の殺害を考え、家臣・野中重政(辻萬長)に減敬殺害を命じ、減敬は弥四郎と別れ逃亡し重政に斬られた。


演出:松本守正

第15回:4月17日:陰謀

岡崎城で松平信康(宅麻伸)は徳川家康(滝田栄)から初陣を命じられ、本多作左衛門(長門裕之)と大賀弥四郎(寺泉哲章)を城に残し、瀬名(池上季実子)と徳姫(田中美佐子)らに送られて出陣し足助を目指した。
弥四郎は山田八蔵(下條アトム)に企みを告げ、長篠で家康と石川数正(江原真二郎)は奥平美作守(近藤洋介)に密書を送り、弥四郎は仲間と武田との取引きを告げ密書を八蔵に運ばせ、妻・粂(左時枝)に夢を匂わせた。
家康は美作守の使者と会い奥平九八郎(渡辺篤史)と亀姫(原日出子)の婚儀を約束し、瀬名は甲州行きを信じ、信康は足助を落としなおも攻め入り、お万(東てる美)が孕んだと聞き邪魔を考え、亀姫は徳姫と話し、弥四郎は作左衛門から信康への連絡を命じられ、陰謀を進めた。
弥四郎は瀬名と武田入場予定を聞かれ、密通者は同士で家臣でないと告げ脅し、弥四郎は武器を隠し持ち出陣し、浜松に瀬名からお万殺害を命じられた使者・志乃が来てお愛(竹下景子)と会いお万を狙うとお愛と作左衛門に阻止された、作左衛門はお万を他に移し、お愛は志乃から瀬名が徳姫を憎み呪うと聞いた。
家康は長篠を攻め始め、美作守と九八郎は武田から人質に命じられ美作守は武田に会いに行き、帰ると美作守と九八郎は長篠城を攻めて、家康は長篠城を落とした。


演出:兼歳正英

第16回:4月24日:無情の風

天正元年秋に徳川家康(滝田栄)は長篠城を落とした、竹之内波太郎(石坂浩二)が訪れて「泉州堺に行き鉄砲鍛冶を育て」「交易が大事になる」と告げた。
松平信康(宅麻伸)は足助城を後に北の武節城を目指し、大賀弥四郎(寺泉哲章)の命で山田八蔵(下條アトム)が減敬を探したが追われ随風(竜雷太)に出会い徳川が勝つと言われた。
信康は岡崎に戻り小侍従(二木てるみ)から徳姫(田中美佐子)が姫を産んだと聞き、瀬名(池上季実子)は野中重政(辻萬長)から報告を受け弥四郎は忙しいと聞き、弥四郎は目算が外れて家康を避けていた。
家康は長篠城で奥平美作守(近藤洋介)と奥平九八郎(渡辺篤史)と会い孫誕生を知るが奥平の人質を思った、織田信長(役所広司)は浅井長政との対陣で徳姫の出産を知り羽柴秀吉(武田鉄矢)にお市とその姫の救出を命じた。
岡崎城で弥四郎はあやめ(田中好子)から瀬名の呼び出しを聞き、八蔵を言いくるめ、瀬名は亀姫(原日出子)から縁談が決まったが騒ぎを起こすと聞いた、浜松でお万(東てる美)は男子を産み、武田勝頼(藤堂新二)は奥平の人質・おふう(石井めぐみ)から偽と聞き処刑した。
長篠城で九八郎と亀姫の祝言が行われ、家康は浜松城へ戻りお愛(竹下景子)と本多作左衛門(長門裕之)から「お万の双子男子出産で一人死んだ」「瀬名の生殺しの扱いは祟る」と聞き、お万の子を知らぬと告げ批判され、家康は判っているが鬼になると叫び死んだおふうを忘れられなかった。 家康は瀬名だけでなく全てに厳しいと告げ、お愛を正式に側室にした。


演出:加藤郁雄

第17回:5月1日:無血の勝利

天正元年)1573)秋に浜松城で徳川家康(滝田栄)は武田の動きを知り遠江の米を集め備え、本多作左衛門(長門裕之)と本多忠勝(高岡健二)と鳥居元忠(草見潤平)に米を守ると告げた。
家康は石川数正(江原真二郎)と大久保忠世(織本順吉)らから情報を聞き上杉の動きを考え、織田信長(役所広司)は小谷城を落とし浅井長政(柴田侊彦)は自決し、お市(眞野あずさ)と子らは信長に救われ生きよといわれ、羽柴秀吉(武田鉄矢)はお市を諫めた。
家康は作左衛門に東を固める覚悟を告げ、岡崎城で大賀弥四郎(寺泉哲章)は瀬名(池上季実子)に企みを告げ、家康は上杉からの使者を聞き、武田勝頼(藤堂新二)は山県昌景(井上昭文)と穴山梅雪(生井健夫)と馬場信春(長沢大)に瀬名からの密書を見せて岡崎城攻めを求めたが反対され上杉との和睦を提案された。
勝頼は遠江に出陣し、家康は家臣に鉄砲隊で向かい討たせ、おふう(石井めぐみ)の妹・阿紀(深水真紀子)に恨みを問い「亀姫に代わる人質」と聞き松平忠勝の嫁にしたいと告げお愛(竹下景子)に預けた。
家康は家臣らと勝頼を引き上げさせる作戦を告げ、松平信康(宅麻伸)は瀬名に遠江への出陣を告げた、瀬名は弥四郎に問い今回は勝つと聞き、家康は勝頼を引きつけ陽動作戦で攻めさせ、鉄砲隊の伏兵と聞いた勝頼は浜松攻めを止めて引き上げた。
瀬名は勝頼が引き上げて信康が戻ったと聞き、浜松城では百姓に米を返した。


演出:国広和孝

第18回:5月8日:謀叛発覚

天正2年正月に徳川家康(滝田栄)は位を受け祝い、家康は石川数正(江原真二郎)から長篠攻めの情報を聞き、あやめ(田中好子)は瀬名(池上季実子)から世継ぎを求められ、徳姫(田中美佐子)は松平信康(宅麻伸)から遠ざけられ、小侍従(二木てるみ)は瀬名を訪ね大賀弥四郎(寺泉哲章)との謀反の密議を盗み聞いた。
小侍従は徳姫に知らせ、5月に武田が動き本多作左衛門(長門裕之)を信康の使者に出し、信康は徳姫に出陣を告げ弥四郎とあやめの謀反を聞くが聞かず小侍従を斬った、家康は平岩親吉(宗近晴見)から小侍従殺害を聞いた。
織田信長(役所広司)は濃姫(藤真利子)から徳姫の知らせで「小侍従手討ちと弥四郎と瀬名の謀反」を聞き、家康は信康に出陣を遅らせて稲を助けたいと告げ、信長は浜松に到着し高天神落城を聞き、陣を引いた。
弥四郎は山田八蔵(下條アトム)らに瀬名殺害計画を告げ、八蔵は信康に知らせたが無視され随風(竜雷太)に助けを求め、家康はお愛(竹下景子)にお万(東てる美)の子に鬼丸の名をつけると告げ、家康は随風から弥四郎の謀反全てを聞いた。
家康は大久保忠世(織本順吉)に弥四郎の調査を命じ弥四郎を捕らえた、家康は弥四郎の傲慢で見下ろす言葉を聞き領民に見せて生き埋めて鋸刑を命じ、翌日にあやめが書置きを残して自害し、弥四郎は生き埋められ領民を説くが殺された、家康は瀬名を罰せなかった。


演出:大原誠

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