功名が辻

スタッフ

原作:司馬遼太郎(『功名が辻』)
脚本:大石静
演出:尾崎充信・加藤拓・梛川善郎・久保田充・梶原登城・大原拓

第28回:7月16日:出世脱落

山崎の屋敷で千代(仲間由紀恵)は山内一豊(上川隆也)から城持ちになると言われた、徳川家康(西田敏行)は羽柴秀吉(柄本明)が勝ったと聞き家臣の意見が割れ考え石川数正(大河内浩)に祝いの品を持って行かせた、天正11年6月に賤ヶ岳の戦の論功口承が坂本で行われ小姓らは3000石に加増され、中村一氏(田村淳)は岸和田城を貰い、堀尾吉晴(生瀬勝久)は高浜城を貰い、一豊は300石を加増され3800石になった。
一豊は内容に不満で、三成は3000石に加増で3万石の運用を求め加増は辞退し、千代は一豊から不満を聞き城の夢に飽きたと言うが、一豊は登城しなくなり、千代は法秀尼(佐久間良子)に話しよね(森迫永依)も心配し判らなくいっそ出家を考えると伝えると、法秀尼は会うと言った。
なか(菅井きん)は寧々(浅野ゆう子)から小姓らの加増を聞き、三成の不満を聞き人を見極めろと言われ、秀吉は黒田官兵衛(斎藤洋介)から恩賞に不満が出ていると聞き一豊を尋ね、恩賞で従うのかどうか家臣を見極めたいと言い、三成は只者でないと言った。
三成は茶々(永作博美)に会い不満を聞くと幸せをよこせと言われた、一豊は千代から出家になると言われ、法秀尼が来て一豊に出家を求めると一豊が如何に秀吉の為に働いたか話し加増の少なさの不満を話すと秀吉から理由は尋ねないなら愚痴と言われ、愚痴から逃れるなら死ねと言い、千代が聞いて自分が先に死ぬと言うと一豊は判ったと生きて行くと言った。


演出:梶原登城

第29回:7月23日:家康恐るべし

羽柴秀吉(柄本明)は大坂城の築城を始め、姫路城で千代(仲間由紀恵)は寧々(浅野ゆう子)からはしゃぎすぎと言われ茶々(永作博美)の為に作ると言い、秀吉が千代に山内一豊(上川隆也)を聞くと器用ではないと言い、羽柴秀次(成宮寛貴)に会い治兵衛と言われ思いだし徳川家康(西田敏行)との戦を聞きいた。
千代は一豊から秀次は跡継ぎだが気が弱いと聞き、秀吉が家来を試していると言い、天正12年正月に秀吉は三法師(藤田悠希)を連れ参賀を受け丹羽長秀(名高達男)は以降姿を見せず、中村一氏(田村淳)は堀尾吉晴(生瀬勝久)と一豊に秀吉だけが織田信雄(大柴邦彦)に挨拶せず信雄と家康が結ぶと言い、千代は同じだが一豊は納得しなかった。
秀吉に石田三成(中村橋之助)が家康に上京を促すと聞き促すが、家康は動かず、信雄が家康に助勢を頼むがうつけと見極められ、小牧・長久手の闘いが始めり犬山の秀吉と小牧の家康が睨み合い、秀吉は動くなと言うが秀次は望み岡崎を攻め、家康は対策を練り、秀次は手柄を狙うと奇襲に会い総崩れし、秀吉は家康の力を確認し黒田官兵衛(斎藤洋介)に信雄喋略を命じた。
秀次は戻り出直しの兵を求め秀吉は怒り一豊が取りなし秀次は謝罪した、家康は信雄の和睦を聞き引き、大坂城が完成し秀吉は関白になり、一豊が長浜城を貰った。


演出:加藤拓

第30回:7月30日:一城の主

天正13年7月に山内一豊(上川隆也)は長浜城主となり千代(仲間由紀恵)らは移り、一豊が家臣らに挨拶し五藤吉蔵(小倉久寛)を召し抱え、千代は法秀尼(佐久間良子)を招くが断られ弟・山内康豊(玉木宏)を気にしたが居所は不明で、近江八幡城で羽柴秀次(成宮寛貴)が羽柴秀吉(柄本明)から城主を受けて一豊と中村一氏(田村淳)と堀尾吉晴(生瀬勝久)が宿老を命じられた。
千代はいと(三原じゅん子)ととし(乙葉)から天下が近づいたと言われ、千代は訪ねて来た康豊を見て迎え事情を聞き浪々を知り世を見誤り、玉(長谷川京子)に助けられやり直しを言われ長浜に来たと言い、康豊は法秀尼と一豊に会いやり直すと言った。
千代はよね(森迫永依)に小袖を作ると言い、寧々(浅野ゆう子)は北政所と呼ばれる様になり長浜に来て千代に玉と細川忠興(猪野学)はうまく行っていないが秀吉は連れろと言い、茶々(永作博美)は秀吉と戦中と聞き、千代は一豊から富山城受取の準備係になったと聞き接待を取り仕切り、蔵が空になり一豊は心配するが千代は心配不要と言った。


演出:梛川善郎

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