功名が辻

スタッフ

原作:司馬遼太郎(『功名が辻』)
脚本:大石静
演出:尾崎充信・加藤拓・梛川善郎・久保田充・梶原登城・大原拓

第46回:11月19日:土佐二十万石

土佐には長宗我部の残党らが残っていた、千代(仲間由紀恵)は女たちから土佐を聞かれ怖ろしいと言われなだめ、山内一豊(上川隆也)が千代に長宗我部盛親が詫びを入れ浪人になったと聞き器量が認められた言い、高台院(浅野ゆう子)に有頂天と言うと高い地位は男の心を乱すと言われ見捨てぬなら最後まで見届けろと言われた。
一豊は井伊直政(篠井英介)に土佐の残党を言われ、重臣らに一領具足を成敗させろと言われ、徳川家康(西田敏行)は実直な一豊の手助けを井伊に命じ、一豊は千代に戦になるかも知れないと言い、北政所に淀(永作博美)は家康の論功報奨の不満を言うと弾劾状の乱発を言われ家康中心と言われ北政所と手切た。
山内康豊(玉木宏)と祖父江新一郎(浜田学)は船で土佐に向かい、千代は六平太(香川照之)から一量具足が2万居ると聞き、康豊は長宗我部の残党と一領具足が浜で遮り、康豊が撃たれ新一郎が長宗我部の重臣に盛親を質に一領具足を成敗させ浦戸城に入ったが一領具足の勢力は残った、康豊と新一郎が一豊と千代に戻り家康に報告し頼りと言われ、一豊は千代に戦になると言い家康の命で重臣も仕官でき無いと言った。
千代は戦を避ける算段をするが無く、一豊と千代が北政所に暇乞いし徳川の世を見届けると言われ、六平太が召し抱えて欲しいと言い家康が土佐平定に一豊を頼ったと言い、千代が山内への忠義を確かめた、一豊と千代らは商人を装い土佐に向かい密かに浦戸城に入り、六平太が政事の一新を言い一領具足の地位変更を言い、千代が鉄砲で撃たれた。


演出:梛川善郎

第47回:11月26日:種崎浜の悲劇

千代(仲間由紀恵)が鉄砲に撃たれ山内一豊(上川隆也)は長宗我部の家臣・奥宮弥兵衛(渡辺哲)と娘(木村文乃)と知り、千代は当たっても痛くないと言い、家臣らが弥兵衛を捕らえ六平太(香川照之)は磔と言い、千代と一豊との意見が対立し、一領具足の謀反は続いた。
六平太は一豊らに一領具足の処置が優先と言い、一豊と祖父江新一郎(浜田学)は大坂で築城の許しを得たが土佐平定が遅いと言われ、黒田如水の手が土佐に及ぶと言われ、一豊は六平太から千代に内密に一領具足の長が相撲好きで大会を開き、集めて鉄砲で撃ち殺すと案を出した。
六平太は新一郎と共にやると一豊に告げ、子孫の復讐を心配する一豊に差し迫った難題以外は後に考えると言い、慶長6年一領具足の長が70人以上もあつまり相撲が行われ、千代は六平太を探し一豊に築城の見分に誘われた。
相撲に集まった一領具足の長を、六平太は鉄砲隊に撃たせ皆殺しにし、千代は異変に気づくが一豊が行くのを止め、新一郎が生き残りに刺され死に、千代が来ると六平太は役目が終わり土佐は安泰と言い毒を飲んで死んだ。


演出:加藤拓

第48回:12月3日:功名の果て

千代(仲間由紀恵)は山内一豊(上川隆也)に功名の上がりが酷く役不足で納得出来ないと暇を貰い出て行き菩提を弔うと言うと、一豊から京から湘南(拾)(三浦春馬)を呼ぶと言い暇を否定され、祖父江新右衛門(前田吟)から祖父江新一郎(浜田学)と六平太(香川照之)の葬儀を盛大に行い使者は一領具足だけでないと示すと聞いた。
葬儀が終わると千代は吸江庵で暮らし始め湘南が訪ね来た、伏見で徳川家康(西田敏行)は井伊直政(篠井英介)から土佐が収まったと聞き、島津だけと話すと黒田如水(斎藤洋介)が来て家康に欲が無いと言い北九州の不逞の輩を退治して引き渡すと言い、家康は疑いを解かなかった。
新右衛門が千代に一豊は間違って居なかったと言い、一豊は湘南に千代を城に呼び戻したいと告げ、湘南は千代に一豊の方が苦しむと伝えると山内康豊(玉木宏)が一豊が倒れたと告げた、千代は城に戻り一豊を見舞うと一豊が起きまた騙したと打ち明け、相撲場の地獄を見せたくなくそれ以上に六平太(香川照之)が見せたくなかったと言い、六平太は如水の大乱を避けたかったと言った。
一豊は山内の汚点になるが大乱を防いだと言い、土佐を住む良くすると千代に誓い戻って欲しいと頼んだ、千代は聞いて再度妻になりたいと言い康豊らに礼を言い城に戻った。
1年後に千代は高台院(浅野ゆう子)を訪ね、家康が征夷大将軍になり江戸に天下人がいると聞き、世継ぎの康豊の嫡子の縁談を家康に頼みたいと言い認められ、淀(永作博美)は将軍は1代限りで次は秀頼の世と聞き、将軍・家康は諸侯に江戸の町作りを次々に命じ山内家も働き、一豊と康豊は家康に跡取りの嫁探しを頼むと探し家康の養女にして後に嫁がすと聞き千代の考えだろうと言われた。
一豊は土佐守に任じられ河内山城に移り、一豊が倒れた。


演出:加藤拓

最終回49回:12月10日:永遠の夫婦:25m+34m

慶長8年8月に山内一豊(上川隆也)が倒れ手が動かなくなり千代(仲間由紀恵)が介護し、祖父江徳心斎(古本新乃輔)が医術を学び来て診察し血の滞りと言い自ら直ろうとせよと言い、山内康豊(玉木宏)と五藤吉蔵(小倉久寛)に回復するが再度頭に血が溜まると危ないと言い、康豊は徳川との絆を強くすると考えた。
徳川家康(西田敏行)の孫・千姫(鶴彩未)と豊臣秀頼(広田亮平)との婚儀が行われ、千代と一豊は高台院(浅野ゆう子)から淀(永作博美)が現れてから忘れられ、戦の始まりと言われ、土佐に戻った一豊に出雲から堀尾吉晴(生瀬勝久)が来て米子の中村家が割れていると聞き死んだ後は判らぬと言われ、千代は家を守るが先決と言うが堀尾は関与しその為後に取りつぶされた。
慶長10年4月に家康は征夷大将軍を嫡子・徳川秀忠(中村梅雀)に譲り、一豊は家康から山内忠義(十川史人)の嫁・熊姫を聞き、秀頼が大きくなり戦で助けて欲しいと言われ、土佐で配下に伝え豊臣との縁切りを告げ、徳川の世で豊臣は消える定めで最後の戦では徳川に付けと康豊と忠義らに命じた。
一豊は再度倒れ千代に遺言と言い過去の戦を思い出し、幸せな夫婦と言い一豊は死に、葬儀で千代は髪を切り見性院と名乗り翌年京に隠居し、高台院を訪ね土佐に動きを知らすと言うと秀吉が残した金銀を家康を使わそうとしていると聞き、淀(永作博美)は京の大仏再建を命じられ家康を狙い、家康は豊臣秀頼(石黒英雄)を会いに来させ、知らせを受けた高台院から見性院は淀を説き伏せろと言われた。
見性院は淀に戦になると滅びると高台院の心配を話し、山内家は一豊の遺言で徳川の家来と言い説得し、淀は秀頼の上洛を認め家康と会うが、家康は3年後に見性院は女らと話し、慶長15年11月に大坂冬の陣が始まり2度の戦で淀と秀頼が死に大坂城は焼け落ち、見性院は高台院と山内家は生き残り戦は無くなると話した。
1年後に家康は死に、見性院は戦は終わり見届けたと旅に出た。


演出:尾崎充信

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