風林火山1

スタッフ

原作:井上靖『風林火山』
脚本:大森寿美男br />

第1回:2007/1月7日:隻眼の男

天文4年(1535)8月大林(山本)勘助(内野聖陽)は甲斐国葛笠村に来た、ミツ(貫地谷しほり)は兄・伝助(有薗芳記)を戦に送り旅の勘助に出会った。
甲斐の武田信虎(仲代達矢)は北条と今川と敵対し、万沢口の合戦で勘助は太吉(有馬自由)と平蔵(佐藤隆太)らに敵状を告げて捕らわれ、信虎は板垣信方(千葉真一)と飯富虎昌(金田明夫)と甘利虎泰(竜雷太)と諸角虎定(加藤武)らと軍議し前島昌勝(塩野谷正幸)から報告を受けた。
勘助は原虎胤(宍戸開)に仕官を望み左目と足が悪いが兵法を学んだと告げ、兵は自分で兵糧を探し民家を襲った(乱盗り)、勘助は駿河の浪人からミツを助けた、虎胤は教来石景政(高橋和也)から赤部下野守(寺島進)が消えたと聞いた。
勘助はミツと伝助に助けられ、赤部が村でミツを襲い見つかり勘助は捕らえて隠し、都留郡山中で虎胤は落とし穴「虎落おとし」を仕掛け、武田氏館で武田勝千代(池松壮亮)は母・大井夫人(風吹ジュン)と話し、信虎の弟・勝沼信友(辻萬長)が山中に陣を引き信方と話した。
信虎らは赤部の行方を疑いその家臣・景政を殺し、勘助は戦を見に行きミツが付いて行き北条家臣・北村右近(きたろう)に見つかり、信方と信友勢が北条勢を襲い、勘助は北条の動きが不審で背後から来ると知り、信方は背後の湖を警戒したが攻められ、北条氏綱(品川徹)は息子・北条氏康(松井誠)に侮るなと告げた。
勘助は奇襲で北村右近を討ちミツを助け、勘助は赤部に襲われ争い殺し首を取った、翌日に勘助は去り故郷三河に向かった。


演出:清水一彦
武田神社(山梨県甲府市)

第2回:1月14日:さらば故郷

三河牛窪で大林勘左衛門(笹野高史)は大林勘兵衛(門野翔)を叱り、大林勘助(内野聖陽)が戻り義母・菊代(水沢アキ)の子と聞いた。
24年前に富士郡山本村で父・山本貞幸(伊藤高)と兄・藤七と母・安(あめくみちこ)は源助に武士は無理と告げ、叔父・庵原忠胤(石橋蓮司)から出家は大事と告げ、勘左衛門は源助を養子にした。
勘助は菊代から邪魔扱いされ、勘左衛門は牛窪城主・牧野成勝(津村鷹志)に勘兵衛が取ったと首を見せ、勘助は山本勘助に名を変え故郷を去った。
武田勝千代(池松壮亮)は甘利虎泰(竜雷太)と原虎胤(宍戸開)と板垣信方(千葉真一)と赤部の死体を見せられ、伝助(有薗芳記)と太吉(有馬自由)と平蔵(佐藤隆太)は三河の浪人と告げ、勝千代はミツ(貫地谷しほり)のお守りを見た。
勝千代は武田信虎(仲代達矢)と大井夫人(風吹ジュン)に馬を望み断られ、山本村で勘助は両親の墓に参り兄・山本貞久(光石研)に会い武士を捨てろと言われ、城主・福島越前守(テリー伊藤)の武田内応を疑った。
今川氏輝(五宝孝一)と母・寿桂尼(藤村志保)と重臣・朝比奈泰能(下元史朗)と庵原忠胤は福島の内応を疑い、忠胤は勘助の訪問を受け内通者を聞き、勘助は仕官出来ず刺客に狙われ、信虎は勝千代と武田次郎(園部豪太)を立ち合わせ小山田信有(田辺誠一)と諸角虎定(加藤武)らが見た、勘助は貞久から駿河を出ろと言われた。
勝千代は負けて信虎に笑みを見せられ、天文5年(1536)に勝千代は元服し武田春信(市川亀治郎)となり、勘助はミツに迎えられた。


演出:清水一彦
伝・山本勘助誕生地(静岡県富士宮市)

第3回:1月21日:摩利支天の妻

山本勘助(内野聖陽)はミツ(貫地谷しほり)から子が出来たと聞き、伝助(有薗芳記)と太吉(有馬自由)と平蔵(佐藤隆太)に武田に仕官したいと告げ無理と言われた。
武田館で武田信虎(仲代達矢)は重臣らに信濃攻めを行うと告げ板垣信方(千葉真一)は「和議をかわしたばかり」甘利虎泰(竜雷太)は「今川が攻めてくる」と告げ、小山田信有(田辺誠一)は「それ故信濃が必要」と告げた。
信方と虎泰と信有と飯富虎昌(金田明夫)と諸角虎定(加藤武)らは協議し、信方は武田晴信(市川亀治郎)の近習・駒井政武(高橋一生)に様子を尋ね、勘助はミツからこの村で仕官を目指せと言われ、晴信は遊び過ごし信方から初陣の準備を言われ、百姓のミツを召し抱えたいと告げた。
原虎胤(宍戸開)が伝助とミツに腹の子の父を問い、信方は大井夫人(風吹ジュン)に晴信の望みを告げ真意は不明と言われ、信方は病を理由に姿を消した。
半月後に山本貞久(光石研)が今川の使者で来て信虎に会い福島越前守(テリー伊藤)の謀反を問われ味方すると言われた、勘助は貞久を見かけて駿河に謀反が起きると考え、甲斐国郡内領・慈輪寺で信有は太原崇孚雪斎(伊武雅刀)に会い見立て通りと告げた。
信方は晴信に歌を読み時間に余裕は無いと告げ、勘助は山城の箱庭を作り攻め方を考え、国と一族を守りたい、ミツを守りたいと告げた、鹿狩りで晴信はミツを見かけ信虎はミツに矢を放った。


演出:清水一彦
長谷寺(愛知県豊川市)

第4回:1月28日:復讐の鬼

鹿狩りで武田信虎(仲代達矢)はミツ(貫地谷しほり)に向けて矢を放った。
山本勘助(内野聖陽)は太吉(有馬自由)とおくま(麻田あおい)からミツの死を聞き、伝助(有薗芳記)と平蔵(佐藤隆太)は矢には当たらなかったが信虎に殺されたと告げ、原虎胤(宍戸開)と板垣信方(千葉真一)が村に来て他言無用と告げ伝助を家来に誘い、勘助は信方と闘い敗れ家来になることを望んだ。
武田晴信(市川亀治郎)は大井夫人(風吹ジュン)から信虎の乱行を諭され軍師がいないと聞き、勘助は家中に入り信虎を狙い戦を待つと考え、だが平蔵は武田を恨み嫌った。
信虎は諸角虎定(加藤武)と武田次郎(園部豪太)の弓を見て、勘助らは信方に呼び出され着替えて要害山を通り寺で晴信に会い、兵法を極めたか問われ、失望から大望が生まれるので怒りを静めて欲しいと言われた。
信方は勘助に間者として今川方の福島越前守(テリー伊藤)を探らせ、翌日に前島昌勝(塩野谷正幸)は信虎に報告し、勘助は1536年3月に駿府で庵原忠胤(石橋蓮司)に会い山本貞久(光石研)に命を狙われ武田と通じると告げて今川氏輝(五宝孝一)の死を聞き、寿桂尼(藤村志保)は越前守を疑った。
梅岳承芳(谷原章介)と玄広恵探(井川哲也)が今川の後継を争った。


演出:清水一彦
山本勘助供養塔(山梨県北杜市)

第5回:2月4日:駿河大乱

駿府の寿桂尼(藤村志保)と梅岳承芳(谷原章介)、花倉の福島越前守(テリー伊藤)と玄広恵探(井川哲也)が対立し、山本勘助(内野聖陽)と山本貞久(光石研)も対立した。
庵原忠胤(石橋蓮司)と勘助は太原崇孚雪斎(伊武雅刀)に会い内乱が起きると聞き、勘助は寿桂尼と朝比奈泰能(下元史朗)と岡部元信(宮路佳伴)に会い武田信虎(仲代達矢)に身内を殺された恨みを告げた。
武田館で板垣信方(千葉真一)は武田晴信(市川亀治郎)と駿河の家督争いと勘助を話し、寿桂尼が襲われたが勘助が助け、勘助を河原村伝兵衛(有薗芳記)が訪ね情報を聞き、信虎と小山田信有(田辺誠一)は雪斎から晴信と公家・三条家の娘との婚儀を求められ今川との和議を話した。
小田原で北条氏康(松井誠)は今川から正室をめとるが父・北条氏綱(品川徹)から駿河に関わるなと言われ、勘助は貞久に寝返りを求め、勘助は花倉城を調べ、庵原之政(瀬川亮)らと城攻めを話した。
福島が駿府に火を放ち、駿府勢が花倉に出陣し、北条の援軍が駿河に入り、花倉の乱が起きた、武田館で信方と甘利虎泰(竜雷太)は信虎から出陣しないと言われ、前島昌勝(塩野谷正幸)は出陣出来ず、福島勢と駿府勢はどちらも武田が来ないと知り悩み、勘助は雪斎の動きだと聞いた。
貞久は弟・勘助の内通と告げ、越前守は闘いを起こしたが城は焼け落ちて逃げ、勘助は貞久と闘い山本家を継げと言われ、貞久は自害した。


演出:清水一彦
花倉城跡(静岡県藤枝市)臨済寺(静岡県静岡市)

第6回:2月11日:仕官への道

花倉の乱は梅岳承芳(谷原章介)方の勝利で終わった。
山本勘助(内野聖陽)は河原村伝兵衛(有薗芳記)から板垣信方(千葉真一)も武田信虎(仲代達矢)の動きは知らなく太原崇孚雪斎(伊武雅刀)が来たと聞き、信虎は今川から落武者狩を求められ、前島昌勝(塩野谷正幸)は福島越前守(テリー伊藤)を匿い小山田信有(田辺誠一)勢に攻められた。
武田晴信(市川亀治郎)は信虎に前島を斬るなと求めたが断られ、信有は信方と甘利虎泰(竜雷太)と飯富虎昌(金田明夫)と諸角虎定(加藤武)から独断を責められたが居直り、庵原忠胤(石橋蓮司)は勘助から今川と武田の和睦を聞き否定した。
駿府で今川義元(谷原章介)と寿桂尼(藤村志保)と雪斎に勘助は会い仕官を望み、義元は信じなく顔が目立ち間者に不向きと断り、寿桂尼は謝った、忠胤は勘助に和議が結ばれ武田への恨みは忘れろと告げた。
三条夫人(池脇千鶴)は侍女・萩乃(浅田美代子)と武田に輿入れし、晴信は甲斐は戦に明け暮れていると告げた、勘助は北条家家臣・青木大膳(四方堂亘)から間者・本間江州(長江英和)を聞き小田原に向かった。
北条氏康(松井誠)と家臣・清水吉政(横内正)は指南役・松田七郎左衛門(榊英雄)から勘助に会い内応者を聞き、直に会い既に手なずけていた、勘助は福島彦十郎(崎本大海)に出会い今川の家臣と責められ、武田を討つ為と告げ仕官を求めた。


演出:磯智明
小田原城(神奈川県小田原市)早雲寺(神奈川県箱根町)

第7回:2月18日:晴信初陣

山本勘助(内野聖陽)は北条氏康(松井誠)から恨みは目を眩ます、間者にして大望だけを持てと告げられた。
駒井政武(高橋一生)は萩乃(浅田美代子)から武田晴信(市川亀治郎)の暮らしを問われ、三条夫人(池脇千鶴)と萩乃は飯富虎昌(金田明夫)に晴信と武田信虎(仲代達矢)との関係を問うた。
信虎は重臣らに今川との和議で信濃攻めを告げ、板垣信方(千葉真一)は晴信に初陣だと告げた、勘助は仕官先を探し信濃に行き平蔵(佐藤隆太)に再会し、真田幸隆(佐々木蔵之介)と出会い館に連れられ松尾城で忍芽(清水美砂)に迎えられ、勘助は指南を求められ武田が攻めて来ると聞いた。
信虎に三条夫人が晴信の思いを話し、勘助は幸隆と忍芽から親切にされた、晴信は信虎に馬を譲って欲しいと頼み既に武田次郎(園部豪太)に譲ったと聞き、欲を表したと責められ、晴信はそこまで思いは判らぬかと告げ、晴信と信虎は決定的に対立した。
天文5年(1536)11月に晴信は出陣し信濃を目指し、真田鄕で勘助は幸隆から村上との戦を聞き、幸隆は武田軍の海ノ口攻めを考え勘助を使者に送った。


演出:磯智明
真田氏本城跡(長野県上田市)上田城跡(長野県上田市)

第8回:2月25日:奇襲!海ノ口

天文5年(1536)11月に武田信虎(仲代達矢)は信濃攻めを始め、山本勘助(内野聖陽)は真田幸隆(佐々木蔵之介)の使者として海ノ口城に来た。
平賀城主・平賀源心(菅田俊)と平賀夫人(三原わかほ)と美瑠姫(菅野莉央)と家臣・武藤永春(中山正幻)に勘助は城に泥を塗らせ、岩尾城主・大井行頼(上杉陽一)と相木市兵衛(近藤芳正)が参加した。
武田軍は軍議し総攻めを決め、武田晴信(市川亀治郎)軍は後備えで板垣信方(千葉真一)に力攻めを不安と告げ、原虎胤(宍戸開)が攻めたが追い返され3日経っても落ちなかった。
勘助と平蔵(佐藤隆太)は美瑠姫に雪を待てば武田は引くと告げ、瓶を集めて水を蓄えさせて地下の敵を見つけ穴を掘り攻撃した、信方と晴信は城には軍師がいると告げた。
12月に城は落ちず雪が降り甘利虎泰(竜雷太)は撤退を告げ、晴信はしんがりを望み、武田は引きあげた、大井勢も引き上げ勘助は油断は狙われると告げが相木が引き上げを考えた。
晴信は引き上げ始めたが途中で休み、勘助は残った相木に晴信は虚けでないと告げ、晴信は海ノ口城攻めを決め戻り城に侵入した席巻した、平賀夫人は自害し相木は美瑠姫を連れ逃げ源心は殺された。


演出:田中健二
海ノ口城跡(長野県南牧村)

第9回:3月4日:勘助討たれる

武田晴信(市川亀治郎)は板垣信方(千葉真一)に父と思い判って欲しく城を落としたと告げ、山本勘助(内野聖陽)は捕らわれ、晴信は殺さず引き上げた。
武田館で武田信虎(仲代達矢)は晴信と信方から策で城を落としたと聞き臆病だと責めた、勘助は平蔵(佐藤隆太)と分かれ、信濃国諏訪で矢崎十吾郎(岡森諦)とヒサ(水川あさみ)は平蔵を助けた。
天文9年(1540)秋に晴信と三条夫人(池脇千鶴)に太郎(加藤清史郎)が生まれ、晴信の妹・禰々(桜井幸子)は諏訪に嫁ぎ、信虎は上原城に諏訪頼重(小日向文世)を訪れ由布姫(柴本幸)に会い、平蔵はヒサと矢崎の役に立ちたいと告げ、信虎は頼重に由布姫を側室に求めた。
天文10年正月に信虎は武田信繁(嘉島典俊)に盃を取らせ晴信に駿河行きを告げ、甲斐は飢饉になり、晴信は信方に水害対策と信虎への不満を告げ謀反を起こすと告げた。
信虎は大井夫人(風吹ジュン)に晴信を追うと告げ、河原村伝兵衛(有薗芳記)は信方の書状を持って駿河の太原崇孚雪斎に届け、勘助と出会った。。


演出:田中健二
諏訪大社上社(長野県諏訪市)諏訪大社下社秋宮(長野県下諏訪町)
上原城跡(長野県茅野市)龍光山観音院(長野県岡谷市)

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