風林火山3
- スタッフ
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原作:井上靖『風林火山』
脚本:大森寿美男
- 第19回:5月13日:呪いの笛
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武田館で山本勘助(内野聖陽)は武田晴信(市川亀治郎)に由布姫(柴本幸)の心変わりを告げ、三条夫人(池脇千鶴)が由布姫に会い、晴信は正室と側室の諍いを無くす事を考え、数日後に諏訪満隣(小林勝也)が由布姫に会いに来て喜び諏訪再興の為と頼んだ。
三条夫人が由布姫に会いに来て、勘助は止めようとしたが断られ、三条夫人が由布姫に自身の身の上と定めを話し晴信の良さと領民を思う心を話し笛を贈り晴信を頼んだ、勘助は笛を調べ由布姫に責められた。
由布姫は晴信と祝言し、勘助は葛笠太吉(有馬自由)と信濃探索を考え、由布姫は志摩(大森暁美)に短刀を渡され従うと告げられ、晴信は由布姫の笛を夜中聞き頼重の呪いと感じ、勘助は晴信に信濃行きを告げた。
晴信は由布姫の笛を聞き、遮り斬り掛かられ防ぎ「討たれる訳には行かぬ」「国と家臣の命運が掛かっている」「勘助の由布姫を救いたい気持」を告げた。
夏に大井一族が小県を攻め、小県長窪城で大井貞隆(螢雪次朗)は城主・芦田長守に武田討伐を告げ、晴信は勘助からの連絡を待った。
演出:東山充裕
山本晴幸生誕地碑(愛知県豊橋市賀茂町)
- 第20回:5月20日:軍師誕生
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天文12年(1543)に大井貞隆(螢雪次朗)が挙兵し、長窪城を武田軍が包囲した。
武田晴信(市川亀治郎)と武田信繁(嘉島典俊)は重臣らと望月城攻めを打ち合わせ諸角虎定(加藤武)は山本勘助(内野聖陽)を軍師にせよと告げ、勘助は教来石景政(高橋和也)から軍師になると聞いた。
貞隆は長窪城主・芦田信守(飯田基祐)と望月新六(松原正隆)と望月城攻めを知るが、相木市兵衛(近藤芳正)は罠と考えた、平蔵(佐藤隆太)とヒサ(水川あさみ)は市兵衛と再会し、勘助は搦め手から望月勢が抜けたと知り城攻めを準備した。
市兵衛と信守は貞隆を捕らえて武田勢に付き飯富虎昌(金田明夫)に勘助の軍略だと告げて引き渡した、甘利虎泰(竜雷太)は望月城を落とした。
武田館で晴信は市兵衛と信守に領土安堵させ、勘助に陣羽織を与えて軍師にした、晴信は勘助に由布姫(柴本幸)が心を開かぬと告げ、由布姫は三条夫人(池脇千鶴)と萩乃(浅田美代子)から子を求められ心を開けと言われ、勘助は由布姫に会い心を預けると言われた。
信濃笠取峠で平蔵とヒサと矢崎十吾郎(岡森諦)は真田幸隆(佐々木蔵之介)に出会い、勘助は葛笠太吉(有馬自由)から忍芽(清水美砂)に上野で会い武田を嫌ったと聞き、市兵衛にも無理と言われ、布引城で矢崎らは望月勢と会い布引城主・楽厳寺雅方(諏訪太朗)と信濃葛尾城主・村上義清(永島敏行)とも出会った。
晴信は勘助から由布姫の心は判らぬと聞き、由布姫は三条夫人と父・頼重の自害した東光寺に行った。
演出:磯智明
葛尾城主郭跡(長野県坂城町)
- 第21回:5月27日:消えた姫
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萩乃(浅田美代子)が毒味し、由布姫(柴本幸)は三条夫人(池脇千鶴)に慈悲でなく疑えと告げ、武田晴信(市川亀治郎)は聞いて去り、三条夫人は由布姫の目は恨んでいないと感じた。
山本勘助(内野聖陽)は重臣らに子が出来ぬと責められ甘利虎泰(竜雷太)に子が出来ても揉めると責められ、大井夫人(風吹ジュン)は由布姫に苦しむなと告げ、晴信は由布姫に笛を吹かせた。
林城で信濃守護・小笠原長時(今井朋彦)は村上義清(永島敏行)から武田に狙われると告げられ、11月諏訪上原城で郡代・板垣信方(千葉真一)は駒井政武(高橋一生)と話し、勘助は晴信から由布姫を諏訪に送ると告げ、12月に諏訪に連れ信方から上原城は思い出があると言われ、小坂観音院に由布姫を移そうとした。
由布姫が途中で消え、勘助は探し、漸く見つけ「くびを取りに甲斐に行く」と聞き逃げろと告げると「ただ会いたいだけ」と言われ、あさましい事を望んだ自分を殺せと言われた、勘助は「身代わりに侍女は自害した」と「天下人を狙う晴信に子を産め」と告げた。
晴信は由布姫に会い抱いた。
演出:田中健二
松本城(長野県松本市)
- 第22回:6月3日:三国激突
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山本勘助(内野聖陽)は由布姫(柴本幸)から子が出来たと聞いた。
武田勢は伊那勢を打ち負かした、村上義清(永島敏行)は家臣・須田新左衛門(鹿内孝)と今川と北条の動きを待ち、武田館で武田晴信(市川亀治郎)ら重臣らは太原崇孚雪斎(伊武雅刀)から北条討伐への富士郡と駿東郡へ出陣を求められ、今川義元(谷原章介)が軍を富士郡に進めて、北条氏康(松井誠)も出陣した。
飯富虎昌(金田明夫)と小山田信有(田辺誠一)と諸角虎定(加藤武)と甘利虎泰(竜雷太)らは北条との戦を避けろと告げ、信有は静観を求め関東管領の動きを重視し、勘助は今川と北条を武田が間になり和睦させると告げた。
勘助は今川陣で庵原之政(瀬川亮)に会い「義元は西を目指し、雪斎は北条との戦に不服」と聞き、雪斎に北条への和議を求め、義元に会い今川と北条の和議を求め、北条攻めは得策でないと告げ、義元から北条説得を求められた。
晴信は駒井政武(高橋一生)を使者に義元に送り誓詞を受取り、天文14年(1545)9月に晴信は出陣し、勘助は晴信と板垣信方(千葉真一)から上杉が動いたと聞いた、勘助は信方から由布姫への思いを問いつめられ国を見た思いと答えた。
勘助は信方と北条の陣に向かい、吉原城で氏康に会い今川と北条の和議を求め、三方の和睦が成立し、数日後に晴信は義元と対面した。
演出:福井充広
勝山城跡(山梨県都留市)岩殿城跡(山梨県大月市)
- 第23回:6月10日:河越夜戦
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北条氏康(松井誠)は今川と和睦を結び、河越城を包囲する関東管領軍に対応し、山本勘助(内野聖陽)はそれに参陣を目指した。
武田晴信(市川亀治郎)と駒井政武(高橋一生)は今川義元(谷原章介)と太原崇孚雪斎(伊武雅刀)と会い鉄砲を見せられた。
小田原城で勘助は氏康と家臣・清水吉政(横内正)から鉄砲を見せられ、河越城では篭城が半年続き福島彦十郎(崎本大海)は北条綱成(石橋保)と援軍を待ち、天文15年(1546)4月に氏康は8000で8万の包囲網の外に陣を引いた。
勘助は河原村伝兵衛(有薗芳記)と葛笠太吉(有馬自由)に関東管領軍の中の武将・真田幸隆(佐々木蔵之介)を連れて帰りたいと告げ、管領・上杉憲政(市川左團次)は家老・長野業政(小市慢太郎)と妻鹿田新介(田中実)と兵糧攻めを告げ、倉賀野直行(大門正明)は北条には策はないと告げた。
勘助は氏康に間者・本間江州(長江英和)への使者になると告げ、伝兵衛は幸隆を探し、勘助は上杉陣で捕らわれ憲政に連れ出され、本間が近づき氏康の伝言を告げ、幸隆に再会した、綱成は本間から連絡を受けた。
勘助は幸隆に武田に力を借りたいと告げ、信濃をいずれ治めるのは武田だと告げ、関東管領はいずれ敗れると告げ、氏康は公方や周囲に書状を送り、憲政はそれを知り油断し遊び女を集めて遊び陣は乱れた、幸隆は呆れ同時に疑い、氏康は夜襲で憲政を狙った。
幸隆は本間を見逃し、氏康は夜襲し本間は討たれ管領は敗走し、憲政の敗走を知らぬ上杉軍は城の外で待ち挟み打ちに合い大敗した、勘助は幸隆に上杉の負けを見せて再度誘い、勘助は彦十郎に鉄砲で狙われ、由布姫(柴本幸)は男子を産み四郎と名付けられた。
演出:東山充裕
川越夜戦跡碑(埼玉県川越市)
- 第24回:6月17日:越後の龍
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山本勘助(内野聖陽)は鉄砲で撃たれ、安中で葛笠太吉(有馬自由)と忍芽(清水美砂)に看病された、真田幸隆(佐々木蔵之介)から河越戦後を聞き、甲斐への道案内を求められた、武田晴信(市川亀治郎)は諏訪で由布姫(柴本幸)と四郎に会った。
幸隆は上州・箕輪城で長野業政(小市慢太郎)に甲斐行きを告げ、河原隆正(河西健司)に領地回復を目指すと告げた、勘助は幸隆から村上義清を倒しても信濃は治められなく先は越後の長尾家は「当主・晴景の弟・長尾景虎(後の上杉謙信(GACKT))がいずれ統一して立ちはだかる」と告げた。
晴信は信州佐久・前山城で相木市兵衛(近藤芳正)と武田信繁(嘉島典俊)と板垣信方(千葉真一)と小山田信有(田辺誠一)と城攻めを軍議して力攻めを考え、飯富虎昌(金田明夫)と甘利虎泰(竜雷太)と信方は晴信は変わったと感じ、勘助は生きていると判った、力攻めで城を落とした。
武田館で晴信は教来石景政(高橋和也)を譜代に加え馬場信春に変えさせた、勘助と幸隆は晴信に会い松尾城と付近の領地を与えられ村上の備えを命じられ、幸隆は家族と松尾城に帰り忍び・葉月と河原村伝兵衛(有薗芳記)と旧家臣らと新たに真田を旗揚げし、平蔵(佐藤隆太)とヒサ(水川あさみ)は真田が武田についたと聞いた。
諏訪・上原城で勘助は信方から晴信の慢心を心配され、由布姫に会った。
演出:清水一彦
春日山城本丸跡(新潟県上越市)
- 第25回:6月24日:非情の掟
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天文15年(1546)夏に武田晴信(市川亀治郎)は公家を招き歌会を行い、信濃を治めると告げた。
武田館で晴信は三条夫人(池脇千鶴)と萩乃(浅田美代子)と三条家を話し、諏訪で四郎のお宮参りで由布姫(柴本幸)に山本勘助(内野聖陽)が付き添い寅王丸の行く末を心配し、勘助と板垣信方(千葉真一)と諏訪満隣(小林勝也)は寅王丸の扱いを話した。
大井夫人(風吹ジュン)は寅王丸を育て、勘助は晴信に寅王丸の出家を求め、駒井政武(高橋一生)は春日源五郎(田中幸太朗)と法度の素案を考え、勘助は今川義元(谷原章介)と寿桂尼(藤村志保)と太原崇孚雪斎(伊武雅刀)に会い寅王丸の出家を頼み人質かと言われた。
大井夫人は晴信の情が太郎か四郎かどちらかに傾けば争いが起きると告げ、勘助と飯富虎昌(金田明夫)と小山田信有(田辺誠一)は三条夫人に寅王丸出家を問われた。
晴信は馬場信春(高橋和也)に高遠城の再建を命じ、勘助と信春は城作りを考え、信方は勘助が四郎への想いが強すぎると告げた、寅王丸が出発し、晴信は三条夫人から太郎の家督安泰を求められ何も決まっていないと答えた、大井夫人は晴信と信虎と同じだと感じ心配した。
天文16年(1547)6月に甲州法度が制定された、相木市兵衛(近藤芳正)は真田幸隆(佐々木蔵之介)に佐久で志賀城主・笠原清繁(ダンカン)が反旗を起こし関東管領上杉に援軍を頼んでいると告げた。
演出:清水拓哉
山梨岡神社(山梨県笛吹市)
- 第26回:7月1日:苦い勝利
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天文16年(1547)7月に志賀城主・笠原清繁(ダンカン)が武田に挙兵し、背後に関東管領が呼応していた。
武田晴信(市川亀治郎)は信濃先方衆を呼び寄せ、相木市兵衛(近藤芳正)と芦田信守(飯田基祐)に情勢を問い総攻めを告げ、甘利虎泰(竜雷太)は上杉の対応を問い、真田幸隆(佐々木蔵之介)は村上義清(永島敏行)に志賀城から使者が送られたと告げた。
義清は家臣・小島五郎左衛門(高田延彦)と須田新左衛門(鹿内孝)らと援軍を決め背後の対立する高梨政頼(大鷹明良)の動きを見ていた、高梨家を長尾景虎(GACKT)が後楯になり政頼と長尾家臣・直江実綱(西岡德馬)と本庄実仍(木村元)らは景虎に国をまとめろと求めた。
義清は市兵衛が来て「志賀城への先鋒を命じられ村上の援軍を控えて欲しい、以後の闘いには内応する」と告げた、武田軍は志賀城攻撃を始め、山本勘助(内野聖陽)は幸隆から市兵衛が村上に行ったと聞き、平蔵(佐藤隆太)は真田に加わり間者になり市兵衛に近づいた。
晴信らは関東管領軍の出陣を聞き、板垣信方(千葉真一)と虎泰を差し向け強攻策を命じた、大井夫人(風吹ジュン)と三条夫人(池脇千鶴)は晴信の戦の仕方を憂い、信方と虎泰は変貌を憂うが援軍の関東管領軍を合戦で打ち破り、晴信は志賀城を力で攻めろと求めたが重臣らは疑問で勘助は降伏交渉を否定された。
晴信は勘助に打ち首を晒して降伏させよと命じ、志賀城は篭城を続け全員が討ち死にした、小山田信有(田辺誠一)は城中で美瑠姫(真木よう子)を助け、市兵衛は勘助と幸隆に「晴信の下知で村上に内応した、平蔵は村上の間者」と告げ、清繁の奥方・美瑠姫は平賀源心の娘だった。
幸隆は屋敷に戻り忍芽(清水美砂)と晴信の仕打ちが酷く負けを知らないと告げ、信有は美瑠姫を恩賞で貰い受けた。
演出:福井充広
志賀城跡(長野県佐久市)小田井宿跡(長野県御代田町)
- 第27回:7月8日:最強の敵
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山本勘助(内野聖陽)は平蔵(佐藤隆太)に法度を求め、美瑠姫(真木よう子)は小山田信有(田辺誠一)と暮らし、上原城で武田晴信(市川亀治郎)は板垣信方(千葉真一)に家臣への領地分配を告げ反対され、武田館に代わる城作りを伝えた。
晴信は重臣を集め村上攻めを話し、武田信繁(嘉島典俊)は家臣の疲れを告げ、甘利虎泰(竜雷太)は多くの兵を失うと告げ、馬場信春(高橋和也)は村上を直ぐに攻めると告げ、勘助は敵は晴信の心中と告げたが、晴信は村上攻めを命じた。
勘助は虎泰に問い詰められ、たとえ負けても後に百の勝ち戦になると答え、負けを理解せねと咎められ勝ち負けは何を守り失うかだと言われた、大井夫人(風吹ジュン)は信繁と諸角虎定(加藤武)から出陣に家中が割れていると聞いた。
平蔵は相木市兵衛(近藤芳正)から村上出陣予定を聞き、抜けだし道で襲われ捕らわれ、真田幸隆(佐々木蔵之介)と忍芽(清水美砂)は忍び・葉月(真瀬樹里)から聞き市兵衛に甘利の配下と疑い、信濃・小県で平蔵はヒサ(水川あさみ)と矢崎十吾郎(岡森諦)に虎泰を連れた。
虎泰は村上義清(永島敏行)と須田新左衛門(鹿内孝)に秘かに会い「市兵衛は晴信の間者で、出陣時期を告げた。自分が間者になり甲斐を憂う」と告げた。
府中林城で信濃守護・小笠原長時(今井朋彦)は高遠頼継(上杉祥三)と諏訪への出陣を求められ、信方は勘助に諏訪での頼継の動きを告げ河原村伝兵衛(有薗芳記)に小笠原を調べさせ、諏訪で由布姫(柴本幸)は勘助に晴信が持った負けに憂いを告げた。
天文17年(1548)正月に武田館で晴信は家臣らに村上攻めと所領分け与えを告げ、信方と勘助は出陣を伸ばせと求めたが認められず、晴信は人を動かす力を信じられなくなっていると告げた。
演出:東山充裕
窪八幡神社(山梨県山梨市)