「真田太平記:3」

真田太平記

池波正太郎原作の代表シリーズのひとつです。
真田一族は、戦国時代の地方豪族から江戸時代末まで、地方の小藩で生き続けた。
関ヶ原の戦いの前に、本家と分家が西軍と東軍に別れた。
戦国時代に武田家で過ごし、その滅亡後に上杉を頼り、徳川と豊臣とも繋がった。
やりくりで生き抜いたが、結果的に徳川と婚姻した長男・信之と、大阪で過ごした幸村が別れた。
父・昌幸は、上杉の恩義に従った。

登場人物:2

真田家家臣・忍び
矢沢頼綱(加藤嘉):昌幸の重臣。 矢沢頼康(大谷友右衛門):矢沢頼綱の子・信幸の重臣。
鈴木右近(岡村菁太郎):鈴木主水の子・信幸の重臣。
草の者
壺谷又五郎(夏八木勲):草の者の頭領。
お江(遥くらら):草の者、幸村に愛される。
向井佐平次(木之元亮):幸村の家臣。
向井佐助(中村橋之助):草の者、佐平次の子。
おくに(范文雀):草の者。才蔵の妹。
宮塚才蔵(堀田真三):草の者。おくにの兄。
奥村弥五兵衛(真田健一郎):草の者。
与七(花沢徳衛):草の者。

第17回:1985年7月31日:「揺らぐ夏」:演出・田島照

文禄11年5月、信幸(渡瀬恒彦)は前年に男子が生まれ、幸村(草刈正雄)は秀吉(長門裕之)から石田三成(清水紘治)の息子と於菊(岡田有希子)との婚儀の話があったが昌幸(丹波哲郎)は乗り気でなかった。
樋口角兵衛(榎木孝明)はお徳屋敷に戻るが昌幸から呼び出しはなく、山中大和守俊房(佐藤慶)の手下から急がされていた。
豊臣秀次(堀内正美)が乱心から処刑され、真田は警戒した。
信幸が徳川家康(中村梅之助)からの知らせに返事を書いていると小松殿(紺野美沙子)が使いを本家より遅いと怒り切腹を言うが、信幸は今後もよろしく伝える様に言った。
別所で養生しているお江(遥くらら)を又五郎(夏八木勲)は大阪に行かせるが、上田から尾行がつき、猫田与助(石橋蓮司)と杉坂重五郎(丹波義隆)に草の宿探索か殺害の命令が出るが、危うい所を大地震で助かった。
秀吉は明の使いを怒り、再度の朝鮮出兵を集めるが、信幸は伏見城の修理になり家康との繋がりが深くなると感じた。
幸村は忍び屋敷でお江にあい、生きていて良かったと言った。
昌幸は矢沢頼綱(加藤嘉)を見舞うが、しばらくして伏見で幸村と信幸が会っている所に頼綱死去の連絡が入った。

第18回:1985年8月14日:「秀吉死す」:演出・門脇正美

慶長3年3月、秀吉(長門裕之)は花見を催し、5大老・5奉行の合議制を引き、朝鮮出兵の撤退を考え、家康(中村梅之助)に息子・秀頼と家康の孫・千姫との婚儀を頼んだ。
信幸(渡瀬恒彦)と小松殿(紺野美沙子)は知恩院参拝の折に北条の残党に襲われるが、鈴木右近(岡村菁太郎)に救われ、出奔の事情の行き違いを話し沼田に戻る事を勧めた。8月に秀吉は死去した。
上田城では又五郎(夏八木勲)が昌幸(丹波哲郎)に、5奉行と家康の中が悪く、於菊(岡田有希子)の婚儀も立ち消えと話した。
大阪で幸村(草刈正雄)はお江(遥くらら)に、豊臣は大阪と伏見に別れたと言った。
真田庄のお徳屋敷で又五郎は樋口角兵衛(榎木孝明)と2人の甲賀忍びに気づき、昌幸の命で甲賀忍びを殺し、何も知らなかったと言わせた。
又五郎は向井佐助(中村橋之助)を京へ連れて行く前に、草の者・おくに(范文雀)と一夜を過ごさせ、与七(花沢徳衛)ともよ(音無真喜子)に送られて旅立った。
京で又五郎はお江(遥くらら)に佐助は孫だと話した。
昌幸は角兵衛に会い沼田に行かせ、信幸・右近らと久しぶりに会った。

第19回:1985年8月28日:「春の嵐」:演出・小林信一

信幸(渡瀬恒彦)は角兵衛(榎木孝明)に、家康(中村梅之助)と前田利家(御木本伸介)の対談が伏見である連絡を話した。
利家は加藤清正(竜雷太)・浅野幸長(本田博太郎)と伏見の家康を訪ね、伏見から向島に移るように要請し家康は受けた。
お江(遥くらら)は幸村(草刈正雄)に利家は重病で甲賀忍びが見張っており清正らは石田三成(清水紘治)に遺恨があり命を狙っており家康は動きを見守っていると話した。
利家は、息子・前田利長(中島久之)と妻・松:芳春院(幸田弘子)に家康を殺すつもりが天下を治める者がなく家康に前田家の行く末を頼んだと言い残し死去した。
清正らが三成の暗殺に動き、大谷吉継(村井国夫)からの頼みで幸村は関わりが危険と知りながら又五郎(夏八木勲)に書状を兄・石田正澄(和田周)に送り三成を連れ出した。三成は家康の屋敷に逃げ込み、追って来た清正らに私事の争い事は禁止と追い返し、三成に佐和山への隠居をすすめ、家康はこわれて伏見に入った。
幸村は一時上田に戻り成り行きを話すと、昌幸(丹波哲郎)は清正らに三成の居場所を教えたのは誰かと言い、向井佐平次(木之元亮)ともよ(音無真喜子)はわずかの日を共にすごした。
角兵衛は信幸に上田の様子を伝えるが、余計な事はしない様に言われた。
近江・彦根では忍び宿の準備と舟の出入りの監視を行っており、お江はおくに(范文雀)に佐助(中村橋之助)の事を引きずるなと言った。
沼田では信幸が右近(岡村菁太郎)に伏見で独自に情報を得る役を頼み、旅立つ右近を不満に思う角兵衛が襲うが逆に斬られた。
信幸は小松殿(紺野美沙子)に本家の事を心配と話した。

第20回:1985年9月4日:「迷い道」:演出・永野昭

慶長5年1月、幸村(草刈正雄)と大谷吉継(村井国夫)は「石田三成(清水紘治)が家康(中村梅之助)が近江に発注した大砲の製造を中止させた事や豊臣秀頼(武田佑介)の重陽の節句の訪問時に前田玄以(小笠原良智)・浅野長政(中井啓輔)を責め隠居させ、高台院(津島恵子)は大阪城を出た事や、前田家謀反の疑いで前田利長(中島久之)が屈服し芳春院(幸田弘子)は江戸へ人質に行った事」を話した。
右近(岡村菁太郎)から信幸(渡瀬恒彦)に上杉景勝(伊藤孝雄)と家康の争いを連絡し、信幸は上杉に恩があるが真意を悩むが沼田と会津は近かった。
昌幸(丹波哲郎)も又五郎(夏八木勲)から会津は戦の準備が終わっていると聞き、又五郎は佐助(中村橋之助)を連れて幸村(草刈正雄)を訪れ、佐平次(木之元亮)は佐助と2才以降初めて出会い、又五郎は幸村に上杉上洛はないと告げた。
信幸は昌幸を急に訪れ、上杉と徳川が決裂したと告げ真田は上杉討伐に加わるべきと言った。
家康は上杉景勝に最後通告を出し、直江兼続(下塚誠)が拒否の書状を送り、家康は上杉討伐命令を出し、信幸は小松殿(紺野美沙子)に本家が道を誤らないで欲しいと話した。昌幸は幸村に上杉からも三成からも連絡が無いと言い、幸村は豊臣家内の争い故に家康につくべきだが、最後は昌幸と共に行くと言った。

第21回:1985年9月11日:「決裂 犬伏の陣」:演出・大原誠

慶長5年6月、家康(中村梅之助)が上杉景勝(伊藤孝雄)討伐で近江を過ぎると石田三成(清水紘治)は大阪に戻った。
真田忍者屋敷から佐助(中村橋之助)は上田へ、お江(遥くらら)は上杉へ行き、又五郎(夏八木勲)は昌幸(丹波哲郎)が西軍につく気がした。
碓氷峠で昌幸と幸村(草刈正雄)は佐助にあい、何故石田も上杉も連絡しないか疑問だった。
山中大和守俊房(佐藤慶)は大谷吉継(村井国夫)の動きが鍵と見るが、垂井の大谷陣に三成の使者が訪れ吉継は佐和山で三成と会い、決起に反対するが決意が変わらないと知り同行し毛利輝元(中山昭二)や宇喜多秀家(石濱朗)を大将にさせた。
又五郎は大谷吉継に会い、勝てる戦でないと聞き、昌幸らに伝え、お江は上杉の戦準備は終わっていると告げた。
7月、家康は江戸で様子を見て三成の動きの進みを見ていた。
西軍は伏見城を多勢で日にちを要して漸く落城させ、手際の悪さを又五郎は昌幸に告げに行った。
下野犬伏に昌幸へ三成の使者が来たが上杉の連絡はなく、信幸(渡瀬恒彦)を呼び親子3人で話し合い、上杉の恩を思う昌幸と天下を治める者を考える信幸と意見が事なり、幸村は昌幸と同行を決め真田は分裂し、どちらかが残るとも思った。
昌幸は三成の使者と又五郎に、三成につくと言った。

第22回:1985年9月18日:「信幸懊悩」:演出・国広和孝

信幸(渡瀬恒彦)は小松殿(紺野美沙子)に真田分裂の書状を送り、上田に戻る昌幸(丹波哲郎)と幸村(草刈正雄)は少人数で孫に会うために沼田城に寄るが小松殿は入城を拒否した。
近江の忍者屋敷で又五郎(夏八木勲)は昌幸が三成につくと話し、山中忍び宿を攻撃する手筈を指示した。
小山の上杉討伐の家康(中村梅之助)に昌幸離反の連絡が入り本多正信(田中明夫)は、福島正則(勝部演之)らへの対応に苦慮し、信幸ら全員に集まる指示があった。
家康は三成決起を謀反だが、大阪の妻子の人質の事もありどちらにつくかは自由と述べ、福島正則は豊臣秀頼に使えているので変わらないと答え賛同者が相継いだ。
家康は信幸によく留まってくれたと言い、信濃・上州と上杉を別れさすために沼田に戻らせた。
昌幸は幸村を砥石城に入れ、又五郎ら草の者は山中忍び宿を攻撃した。
8月10日に石田三成(清水紘治)ら西軍は大垣に陣をひき、福島正則らと本多忠勝(加藤武)・井伊直政(菅貫太郎)は清洲にいたが、家康は自身が東海道を徳川秀忠(中村梅雀)が中山道を岐阜に向かう計画で清洲に村越茂助(綾田俊樹)を使者に送り福島正則らは大垣城を攻め落とした。
お江(遥くらら)は昌幸に西軍より東軍がまとまっていると伝え、幸村に2度と会えないかも知れないと言い美濃当たりで家康と刺し違える覚悟というが幸村は死ぬなと答えた。信幸は家康の命令を待ち、昌幸・幸村との闘いを避けたがっている事を感じていた。

第23回:1985年9月25日:「故郷敵地」:演出・門脇正美

沼田城の信幸(渡瀬恒彦)は家康(中村梅之助)の命令で、徳川秀忠(中村梅雀)軍と共に中山道を美濃に向かう事になり、途中の上田で昌幸(丹波哲郎)らとの対決もありそうだった。
昌幸は秀忠軍は上田攻めをして先鋒は信幸になると考えた。
滝川三九郎(三浦浩一)が信幸に逢いに来て親子の対決が見物と言い、逗留をした。
信幸は出陣し、美濃の西軍は意見がまとまらず、家康も江戸を立った。
又五郎(夏八木勲)は真田忍びは家康の首を狙う道しか無いとして、2勢力に分け、お江(遥くらら)は独り行動を許した。
山中大和守俊房(佐藤慶)は真田忍びの動きが独自で活発と見て、家康先陣の守りについた。
秀忠は本多忠政(森田順平)と信幸とを使者にして昌幸に上田城明け渡し要求を出し、3日後の返事を得、昌幸は幸村(草刈正雄)に秀忠軍は7日留め置く事を話した。
美濃の百姓の治作(谷村昌彦)の家に、行き倒れを助けられた形で逗留していた。
昌幸は幸村を砥石城に向かわせ、3日後に矢沢頼康(大谷友右衛門)が使者で秀忠に来て上田城は籠城と返答し、秀忠軍は上田城に向かい、信幸は真田の領地が全て敵地と思った。

第24回:1985年10月2日:「激闘上田城」:演出・門脇正美

慶長5年9月、徳川秀忠(中村梅雀)軍は信幸(渡瀬恒彦)を戦闘に砥石城に向かい、幸村(草刈正雄)は上田城に戻り、徳川軍は砥石城に入り、昌幸(丹波哲郎)は信幸の面目が立ったと思った。
秀忠は出発準備するが、部分的に闘いが始まり依田や大久保や牧野康成軍が深追いし罠にはまり、本多正信(田中明夫)が陣の立て直しを進言した時に家康(中村梅之助)の使いが来て美濃へ急ぐ指示で、秀忠はあわてて行軍するが昌幸は遅れると思った。
9月12日に家康は清洲城に到着し、西軍はまとまりがないとの報告で秀忠を待たずに岐阜に進めた。
滝川三九郎(三浦浩一)が信幸に近江に向かう途中に上田城に立ち寄るとりなしの書状を求め、上田で昌幸・幸村に会うと於菊(岡田有希子)を連れていく様に頼まれた。
お江(遥くらら)は長良川の渡しに向かい、又五郎(夏八木勲)らは関ヶ原に向かった。
猫田与助(石橋蓮司)は山中大和守俊房(佐藤慶)に真田忍びが家康を狙っていると言い、信幸は今天下を左右する者は家康の命を狙っている者かもしれないと言った。

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