「真田太平記:5」

真田太平記

池波正太郎原作の代表シリーズのひとつです。
真田一族は、戦国時代の地方豪族から江戸時代末まで、地方の小藩で生き続けた。
豊臣秀頼は成長するが、淀君らの力で抑えられ名前ばかりになり、大阪は浪人が集まった。
家康は、豊臣が1大名となるために力を削ぐ事を目指す。
昌幸は、九度山から大阪城に入いり大阪冬の陣で活躍するが和睦となった。
豊臣は、依然として浪人を雇い、徳川と対立し夏の陣がせまった。

第33回:1985年12月11日:「事件勃発」:演出・高橋幸作

慶長16年秋に、山手殿(小山明子)と久野(香野百合子)が上田城に移ったが、2年後に山手殿は死去した。
角兵衛(榎木孝明)が上田城に来たが信之(渡瀬恒彦)は勝手に九度山を離れたと言い2度出奔しないならば50石で使えよというが角兵衛は不満で立ち去った。
徳川は豊臣に寺社修復を命じ、方広寺の鐘の刻印騒動が起き、鈴木右近(岡村菁太郎)から信之に中止の連絡が入り、いかようにも読める内容にただ事でないと思った。
角兵衛は山中忍びから幸村(草刈正雄)を探る命で九度山に戻り、お江(遥くらら)はお通屋敷で馬場彦四郎(角野卓造)と角兵衛と猫田与助(石橋蓮司)が一緒にいるのを見た。
片桐且元(山本耕一)は駿府に行くが家康(中村梅之助)に会えず、大阪に状況を知らせた。
本多忠政(森田順平)が信之を訪ねると、信之は九度山とは書状のみの行き来で今は絶えておりと言い、忠政は徳川秀忠(中村梅雀) はまだ恨んでいると言った。

第34回:1985年12月18日:「時節到来」:演出・永野昭

大野修理(細川俊之)から幸村(草刈正雄)に大阪城入城の依頼が来た。
幸村は信之(渡瀬恒彦)と秀忠(中村梅雀) の確執を聞き、信之は自分の道を行くので幸村にかまうなと言った。
角兵衛(榎木孝明)が九度山に戻るが幸村(草刈正雄)は表だけ受け入れた。
片桐且元(山本耕一)の連絡を受けた大阪は大蔵局(高田敏江)・饗庭局(大橋芳枝)が駿府に行くと家康(中村梅之助)はあって「何もおこなければ心配ない」と答え、且元は本多正純(伊東達広)から秀忠の3条件を伝えた。
幸村はお江(遥くらら)に私欲の為に大坂に行くと言い、旧家臣を大坂にあつめ、草の者を紀見峠に集めさせ、於利世(中村久美)と子供に彦根の忍び小屋に行く指示をするが真田大助 (片岡孝太郎)は大坂に行くことになった。
大坂では片桐且元(山本耕一)の排除の動きが起こり、それを聞いた家康は出陣を決めた。
幸村は大坂入城の返事をし、草の者に自分の為の戦と告げた。
信之は将軍家から出陣の命があり、息子・信吉と信好が大将で自分は上田に残れとの指示と告げ、小松殿(紺野美沙子)に人質で江戸に行く事になると言った。
信之は江戸も大坂も幸村の怖さをしらないと思った。

第35回:1986年1月8日:「大坂入城」:演出・小林信一

慶長19年10月、家康(中村梅之助)は出陣し、上田では向井佐平次(木之元亮)が幸村の元へ出奔し、信之(渡瀬恒彦)はもよ(音無真喜子)とはる(蝦名由紀子)にはそのまま使えよと言った。
幸村(草刈正雄)は角兵衛(榎木孝明)を薬で眠らせ大坂に向かい、お江(遥くらら)を狙った猫田与助(石橋蓮司)は病で川に落ちて死んだ。
大坂入城した幸村は酒浸りの豊臣秀頼(円谷浩)を見てがっかりし、大野修理(細川俊之)はゆかりの大名は誰も来ないと言った。
家康は大坂は内から崩れるが早めるために板倉勝重(増田順司)に書状を送った。
上田で出陣の日に、残った信之に鈴木右近(岡村菁太郎)から幸村大坂入城の書状が届いた。

第36回:1986年1月15日:「真田丸」:演出・田島照

慶長19年10月、真田信吉(早瀬亮)と真田信政(森岡進)は大坂に向け出陣し、滝川三九郎(三浦浩一)が上田城の信之(渡瀬恒彦)を訪れ自分も大坂に向かうと言い、幸村(草刈正雄)は無理をしているかの問いに自然に任せていると答えた。
大阪城では軍議が開かれていて幸村や後藤基次(近藤洋介)の外戦案は大野修理(細川俊之)と淀君(岡田茉莉子)に阻止され籠城と決まり、幸村は真田大助 (片岡孝太郎)やお江(遥くらら)に城の南外に出丸を築き自分の城で戦いたいと告げ、作り始めた。
家康(中村梅之助)は京に入り、幸村は二条城と伏見城への急襲を考えるが大野らに止められ、秀忠(中村梅雀) が京に到着すると家康は大坂に向かい、城の西に大砲設置する土台の場所の確保を命じた。
佐平次(木之元亮)が幸村に到着し真田丸と名付けた出丸に入り、滝川三九郎は京で信吉らに会った。
家康が奈良を通る頃に、お江らが急襲するがもう少しで阻止され、幸村は以降は堂々の戦のみと語り、慈海(福田豊土)は山中忍びを集め、角兵衛(榎木孝明)に幸村殺害を命じた。
幸村はもはや家康の首で天下は変わらぬと知り、小松殿(紺野美沙子)は信之についてゆくのみと語った。

第37回:1986年1月22日:「冬の陣前夜」:演出・小林信一

真田丸は完成し、角兵衛(榎木孝明)は幸村(草刈正雄)を訪ね、幸村は受け入れるが向井佐助(中村橋之助)に監視させた。
角兵衛は烏合の衆というが幸村は根気よく軍を整えて行った。
大坂・茶臼山に着いた家康(中村梅之助)は真田丸にうかつに手出し出来ぬと思い、上田城の信之(渡瀬恒彦)へ秀忠(中村梅雀) に秘密で忍びで京へ来るように書状を出し、滝川三九郎(三浦浩一)は書状で幸村と信之とをあわすつもりだろうと伝えた。
家康は真田丸以外の外砦を攻撃し時間がかかると自ら視察すると言い、お江(遥くらら)や角兵衛(榎木孝明)が待ち伏せるが、本多正純(伊東達広)らの止めだてで中止になった。
家康は城の西の砦を全て攻略し和睦の動きが強くなり、お江は幸村に大坂城内の和睦派の暗殺を提案するが幸村は断った。
角兵衛は度々、幸村暗殺を迫る山中忍びを斬った。
信之は京の真田屋敷で鈴木右近(岡村菁太郎)から状況を聞くが、幸村がいるので治まるかどうか判らなく、幸村軍は独自に茶臼山を襲撃する準備を進めた。

第38回:1986年1月29日:「大坂冬の陣」:演出・大原誠

西軍は夜襲をかけるが成果がなく籠城になり城内も活気が無くなった。
幸村(草刈正雄)は、大野修理(細川俊之)に独自の動きを申し出て本多政重(須藤正裕)を挑発する作戦をたて、本多政重らがそれに騙されて家康(中村梅之助)の許しなく真田丸に攻め込んだ。
家康は無視せよと言い、結果のみを見届けるとしたが、真田勢に大敗して幸村の名前は拡がった。
秀忠(中村梅雀) は真田の名が高まるのが好ましくなく土井利勝(有川博)から家康に総攻めを伝えるが家康は断り、西側からの大胞攻撃と金堀人足の動きを見せた。
慈海(福田豊土)から信之(渡瀬恒彦)に家康との連絡をすると言われた。
阿茶局(三条美紀)と常高院(磯野洋子)が淀君(岡田茉莉子)を訪ね、和睦を勧め翌日の軍議で淀君は和睦成立を伝え、条件として堀を埋める事と言った。
幸村は大野修理に家康・秀忠を進言するが、内堀は豊臣で埋めると言って断った。
大坂の浪人が町に出た頃に徳川は、内堀まで埋めてしまい真田丸も打ち壊しになった。
慈海から信之に、家康の命で幸村に会い徳川につく事を説得せよと言われた。
真田屋敷の真田信吉(早瀬亮)と真田信政(森岡進)に滝川三九郎(三浦浩一)が幸村と大助(片岡孝太郎)を連れて訪問した。
元和元年1月、家康は信之に後を頼むと言って帰途につき、冬の陣は終わった。

第39回:1986年2月5日:「兄弟再会」:演出・大原誠

真田丸の打ち壊しで2の丸に移った幸村(草刈正雄)を滝川三九郎(三浦浩一)が訪れて京の信之(渡瀬恒彦)に会う事を勧め、幸村はお江(遥くらら)に徳川にはつかないが会いたいと言い、慈海(福田豊土)は信之に、信濃1万石を提示した。
幸村と大助 (片岡孝太郎)は彦根の忍び宿の於利世(中村久美)と娘達を訪ね、再度戦があれば蓮華王院へ行く様に言った。
慈海は山中忍びに対面を無事済む様に命じ、信之はお通屋敷で小野お通(竹下景子)に会い、幸村が到着すると何故に戦さを望むかを信之は説得するが幸村は心を決めていた。
2人は真田丸や幸村の妻子の事や佐平次(木之元亮)の事を語り、その後右近(岡村菁太郎)と大助が加わり別れた。
信之に滝川三九郎が訪れ幸村に会う事を勧めたと言い、信之は不首尾の結果に咎めはあるだろうと答えた。
家康(中村梅之助)に不首尾の知らせが入りやむなしと言い、信之は幸村とは最後の別れと思った。

第40回:1986年2月12日:「戦雲再び」:演出・永野昭

元和元年1月、信之(渡瀬恒彦)は小野お通(竹下景子)が気になり書状や贈答品を送るが返事と共に大坂に行くので会えないと言われ、自身も江戸へ戻る事になった。
お江(遥くらら)は幸村(草刈正雄)に大坂は浪人を扱いきれておらずまた事件が起きると言った。
秀忠(中村梅雀)も江戸に戻り家康(中村梅之助)と対応を話し、大坂の3局を駿府に迎え、名古屋の徳川家の婚礼への同行を求めた。
幸村は大阪城は間者の巣と感じ、意見の対立で大野修理(細川俊之)は襲われた。
家康は名古屋で出陣命令を出し、信之は残る事になり滝川三九郎(三浦浩一)から秀忠が真田を嫌っているからと注意された。
お江は幸村に秀忠・家康の暗殺計画をするが、大坂で戦いたく信之にも迷惑をかけたくなく、反対なら去れ答えた。
家康は3局に、大坂から浪人を出して豊臣秀頼(円谷浩)が大和郡山へ移る事を求めたが、大坂の浪人達は大和郡山城を焼き討ちした。
大坂の軍議で幸村と後藤基次(近藤洋介)は1度切りの合戦を出すが、淀君(岡田茉莉子)の指示で別れて外で戦う事になった。 幸村は奇妙な戦と思った。

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